セザール・アンチクリストの三つの聖痕


 
このファスケル版ジャリ全集は古書店の隅にまるで邪魔物のように置かれていた。捨て値というも愚かな二束三文の値をつけられて。

それもそのはず、上の写真でおわかりのように状態がひどい。ドリルの穴が貫通している。さすがのGreville de Broix侯爵の前頭部をもってしてもこれほどむごいことはできなかろう。

そこで店主に根堀り葉堀り尋ねてみた。きっと精神を病んだ人の仕業に違いないと思いながら。


ところがそれは大きな誤解だった。

なんでも阪神大震災の被害にあった家から救出された本だという。家が傾いでしまってドアが開かなくなり、やむなくドアに穴をあけたのだが、そのとき室内の本まで犠牲になってしまったのだそうだ。誰の本かはもちろん店主は言ってくれなかったが、状況その他から考えて十中八九、レチフ・ド・ラ・ブルトンヌやセリーヌの名訳を残したK先生の蔵書に違いない。

よく分からない感動にうたれて店を後にした。大震災の刻印――ドリル――腹のドリル状の渦巻――K先生の蔵書――。聖痕というものはこんな風に突然に理不尽に開けられるものか。これはまるで黄金伝説ではないか。聖痕や聖遺物はときに二十一世紀の今日にも顕現するものらしい。Merde!! というアンチクリストの叫びを天上に響きわたらせて。