吸血鬼と屍姦愛好者

汝らその総ての悪を

汝らその総ての悪を

あるフランスの女流作家が書いた物語の中で、屍姦愛好者である主人公は次のようなことを日記に書いている。

……ある日、そんな女たちの一人が勇気を奮って、なぜあなたは喪に服しているわけでもないのに年中黒い服ばかり着ていらっしゃるのと僕に尋ねた。もう一人のとても若いのにもう太っていた名前が思い出せない女は、あなたには「吸血鬼」の雰囲気があるわと町なかのある店のなかで僕にほざいた。またしてもお馴染みの非常識きわまる混同。吸血鬼と屍姦愛好者ほど根本的に対立する存在はないというのに。生者をむさぼり永らえる死者と死者を愛する生者…… 

 
同じように異常でありながら、彼が「汝らその総ての悪を」の主人公よりはるかに健康で(健康というのはつまり清澄な精神を保っているということだが)あるのは、日々消滅に立ち会っているからだろうと思う。パリで骨董品店を独り営む彼は墓を暴いては老若男女問わず死体と臥所をともにし、腐敗してどうしようもなくなるとセーヌ川に捨てに行く。その時点で死体=愛人の存在は消滅し、彼は次の愛人を掘り起こしに墓地におもむく。
しかし、「汝ら〜」の中では一旦存在したものは消滅しない。そのまま在り続ける。殺人の記憶は消えないし、死体は体内に取り入れられ、取り入れられないものは異臭となり残り、畳の血もあえて拭われない。犯罪捜査は執拗に続けられ、ケチャップ瓶のレッテルの文字さえ無視されず読まれる。つまりこれは吸血鬼の世界の閉塞感だ。物語上は一見人が死んでいるように見えるが実は何もかも(誰も彼も)残存している。吸血鬼のように。