A Case of Identity

三つの教会と三人のプリミティフ派画家

三つの教会と三人のプリミティフ派画家


ユイスマンスの美術論が出た! ハネカー『エゴイストたち』で絶賛されているのを読んで以来、気になっていた本である。もう何年前になるのか、渋谷正進堂閉店セールのときに原書は入手していたものの、やはりフランス語で読むのというのは気が重く、ずっと積読になっていただけに、こうして翻訳が出てくれるのは非常にありがたい。
というわけで出てくれたのはありがたいのだが、この訳文はどんなものだろうか。ユイスマンスという人は基本的にはロジックの人であると思う。つまり時として晦渋にはなるものの詩人的な論理の飛躍とは無縁の人という印象を持っていた。しかしこの翻訳は必ずしもそうでないような気がする。
例えば本書中の一篇「コルマールの美術館におけるグリューネヴァルト」のなかで、ユイスマンスは、十七世紀の文献に記されたイーゼンハイム修道院の絵が、現在コルマールにある祭壇画の一枚と同一のものかどうかという問題について、こうコメントしている。

 あと、反論の余地を与えず証明すべきことがあるとすれば、コルマールの問題の一枚がまさしくイーゼルハイムのものと同じだという点である――なぜなら、もしそうでないとすれば、すべてがもう一度疑問視されねばならぬこととなるから、――。しかし、絶対的な確かさ、保証の必要のない確かさは欠けているのだから、これら二つの作品が同一のものであると言い切ってしまうには、実際、推測の部分がかなり大きいのがわかってもらえよう。(本書p.120)

この日本語訳だけ――ユイスマンスがこんな論理の筋が通ってない、よれよれの文章書くわけねーじゃんと思いつつ――読むと、あたかもユイスマンスが二つの絵の同一性について懐疑的であるような印象を受ける。だが本当にそうだろうか? 原文はこうなっている:

Ce qui resterait à démontrer, d'une façon péremptoire, c'est que le volet de Colmar est bien le même que celui d'Issenfeim -- car s'il n'en était pas ainsi, tout serait remis en question -- mais l'on peut attester qu'à défaut d'une certitude absolute, impossible à garantir, les présomptions sont vraiment assez fortes pour assurer qu'il y a identité entre les deux oeuvres. (J.-K.Huysmans, Trois Primitifs, 1905, p.12)

まずひっかかるのは、最後の方のles présomptions sont …… fortesを「推測の部分が大きい」と訳していることである。こう解釈できる余地ももしかしたら有り得るのかもしれないけれど、ごく普通に読み取れば、このfortは「説得力がある」(puissant, solide)という意味であろう。つまりこの最後の部分に懐疑的なニュアンスはなく、むしろ同一説を肯定してると思う。そしてたぶんこの部分の誤解に引き摺られて、このパラグラフ全体の論理のうねりを訳者は捉えそこなっているのではないか。だから原文にはない句点(ピリオド)をわざわざ付け加えて、一つの文章である原文を二文に分けざるを得なかったのだろう。
自己流に訳すとこんな感じになる。下手な文章だが少なくとも原作者が何を言わんとしているかはより明瞭になっていると思う。

 あと足りない点があるとすれば、コルマールの翼パネルがイーゼンハイムのものと本当に同一であることを、反論の余地のない仕方で立証することであろう――というのは仮にそれが否定されたとすれば、すべては再び疑問視されてしまうだろうから――しかしながら、絶対的な確実性がない以上保証はできないにしても、この二つの作品は同一であると断言して構わないくらいの説得力が、これらの推定にあると明言することはできよう。