「妖異博物館」と「都筑道夫少年小説コレクション」が相次いで出た。もちろん偶然に決まってるが、絶妙の組み合わせだと思う。どちらか一方を読んだ人は、もう一方も読むと一段と興趣が増すのではないだろうか。
「妖異博物館」についてはまたいつか取り上げることにして、今日は「都筑道夫〜」である。ここで注目すべきは第一巻の巻頭に収められた連作「ゆうれい通信」で、これが実に「妖異博物館」的な民俗学的妖異テイストに溢れた好編なのだ。「へんなぼうしをかぶった」民俗学専攻の大学生、「おばけ博士」の異名をとる和木俊一と小学生のルミちゃんが次々に出くわす怪異……民俗学的趣味の都筑作品としては、例えば雪崩連太郎ものなどがあるわけだが、そういうのと、この「ゆうれい通信」との差はどこにあるかというと、それを説明するには柴田宵曲による「妖異博物館」のはしがきを引用するのが手っ取り早い。
三田村翁は妖怪変化と幽霊中心の怪談とを時代的に区分し、文化度までは猶両者が入交じっているが、文政以後は完全に幽霊の独占に帰するという説であった。幽霊中心の怪談は、演劇、読本、講談、浮世絵その他の作者の協力に成るもので、先ず幽霊の発生しそうな事件を作り、然る後本物が登場する順序に及ぶ。その前提の事件なるものは、例外なしに不愉快な葛藤である。これらの怪談は如何に夏向きであっても、所詮吾々の趣味の外にあると云わねばならぬ。
ここに陳列したのはすべて不愉快な怪談になる以前のもので、中には妖異とか怪奇とかいう域に達せぬ話がないでもない[後略](「妖異博物館」pp.11-12)
つまり、「ゆうれい通信」等、この集に収められたいくつかの作品は、雪崩連太郎ものより「不愉快な怪談になる以前のもの」の雰囲気が濃厚なのである。その意味で全都筑道夫作品の中でも珍重すべきものといえよう。第一話の和木俊一初登場の場面にしても何か変てこで、あるいはこの和木なるものも、人間にあらざる怪しのものではないかという疑念も湧いてくる――それくらいここらの都筑道夫の筆致は素晴らしい。ジュブナイルの枠を超えて、都筑道夫の代表作の一つと言えるのではないだろうか。