夏コミ対応が一段落したのでジョン・コリアに戻っています。夏コミと言えば今年はハルヒさんが店番してくれるので買い物の時間はたっぷりあります。それはいいのですが、いかんせん当日は恐怖の二日目、「てにぷり」とか「ぎんたま」とか「はがれん」とかいうスペースがびっちりと会場を埋め尽くす、それはそれは不毛な日なのでありました(ファンの人ごめんなさい)。
今のところ、かろうじて買いたいのはチベくん総受け本しかありません。ここを見ている皆さんで、「このサークルは行った方がいいよ!」というようなアドバイスがあればぜひ教えてください。「ノヴァ悲報」の人は今回はいないのかな?
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ところでジョン・コリアですが、この人は稲垣足穂ほどではないにしても、ときどきテキストをいじるので油断がなりません。大ざっぱな印象で言えば、読者に向けてぶしつけに冷笑を浴びせるようなところは、後に改稿されて口当たりのよい表現となっているようです。悪魔はより巧みに尻尾を隠し大衆に受けるすべを覚えたということでしょうか。
たとえば「みどりの想い」のなかには、「電光のように不吉に、単純な園芸上の原理がマナリング氏の頭に閃いた。いとこのジェーンもまたそれを知っていた」というくだりがあります。この二つの文章の間には、もともとは次のような文章がありました。(引用は1932年版の"The Green Thoughts"による)
(Ominous as lightning, a sinple botanical principle flashed across the mind of her wretched relative.) What principle? It is only too well known. Even the very babes and sucklings are familiar with it. It is not drummed into their jaded years by parents and governess, curates and family doctor; is it not Exercise One in the principal on the kindergarden curriculum? (Cousin Jane was aware of it also...)
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今回翻訳を担当した中でもっともすごいヴァリアント(異文)があったのが「宵待草(Evening Primrose)」でした。下の画像でお分かりのように、この短篇には2月21日から物語の始まるテキスト(右側の本)と3月21日から始まるテキスト(左側の本)があります。
そして現行テキスト(3月21日から始まるほう)にはオリジナルテキストにはない一エピソードが付け加えられています。どんなエピソードなのかは未読の読者のためにあえて伏せますが、まあ甘ったるい、なくもがなの場面ではあります。
で、この二つを見比べてみると、どちらかと言えばオリジナルの方がよいような気がします。というのは現行テキストでは余計なエピソードを付け加えたがために、後段の悲劇を引き起こす原因となる主人公の心境の変化が若干不自然というか唐突に感じられてしまうのです。
しかし今回は著者の最終稿を尊重するという意味から、現在流布しているテキストを翻訳底本にしました。原テキストとの差異は、もし紙幅が許せばあとがきに書いておこうと思ってます。