ヴェデキントの特質

「女性に金玉を噛まれたこともある」と4月9日付の当ブログでお伝えしたフランク・ヴェデキントの小品「女侯爵ルサルカ」が、岡和田晃さんのご厚意でナイトランド・クオータリーの次号に載ることになりました。6月29日発売予定です。

ヴェデキント作品の一つの特質は、ある種のホラーのように、「何が起きているかを故意とはっきり書かず描写を省略する」ところにあると思います。平井呈一が「朦朧法」と名付けた手法とまるきり同じとはいえないものの、それに近いものがあります。

それがおそらく最高度に発揮されているのが、映画『エコール』の原作にもなった『ミネハハ』でしょう。むかし市川実和子さんによる翻訳で読んでびっくり仰天し、そのとき遅まきながらヴェデキントのファンになりました。そして同時に、ヴェデキントがいかに足穂に影響を及ぼしたか、その一端がわかったような気になったのです。ほら、「彼等」だって、肝心のところは描写をひゅっと飛ばしているではありませんか。

『ミネハハ』は真正のホラーといってもいい作品で、一人の老婆が最初に出てきて、その人が昔体験した話ということで物語が進むのですが、読み終わってまず感じるのは、「ああ、このお婆さんがまだ生きてて元気でよかった!」という安堵の気持であって、それがこの作品の唯一の救いである気がします。もし語り手がその後どうなったかわからないまま物語が閉じられたとしたら、きっとすごく後味の悪いものになったでしょう。

この省略法は『ルル』二部作でも発揮されていて、ここで何が起きているのかを掴むのは、岩波文庫版の岩淵達治氏の丹念な訳注に助けられなければあるいは難しいかもしれません。

今回訳した「女侯爵ルサルカ」も、思い込みの強い語り手ルサルカが一人合点したままとっとと物語が進むので、読者は「なんじゃこりゃ?」という感じで置いてきぼりになるかもしれません。その意味ではたとえばデ・ラ・メアの「失踪」と一脈通じていると思います。