裏表紙の叙述トリック


 
日本では本の帯によく「〇〇氏絶讃!」などという宣伝文が書かれてある。英米のペーパーバックでそれにあたるのが裏表紙の引用文である。たとえば「驚天動地の傑作!(ニューヨークタイムズ)」とかそんな感じで書評の一部が引用されている。

しかしこれが実にクセモノなのである。もとの書評から都合のいい部分だけ切り取っているのはまあ当たり前としても、引用符があるからもとの文章そのままだと思うと、ときとしてエライ目にあう。

たとえばここにラヴクラフト/ダーレスの短篇集 "The Watchers Out Of Time" がある。その裏表紙には批評界の耆宿エドマンド・ウィルソンの書評が引用されて、「ラヴクラフトは初期のH・G・ウェルズと同質の科学的想像力を持っている」と書かれてある。


 

このエドマンド・ウィルソンという人は面白い本を何冊も書いている優れた批評家だが、ジャンル小説に偏見のある人としても知られている。ミステリ界では「誰がロジャー・アクロイドを殺そうがかまうものか」というミステリ罵倒文の著者として名高い。これがたとえばプーチンなら誰が殺してもかまわないとは思うけれど、ロジャー・アクロイドの場合はさすがにまずくはあるまいか。第一それでは法治国家の面目が立たない。

それはともかく、そういうわけで万が一にもウィルソンがラヴクラフトを褒めるわけがない。これがエドマンドでなくてコリンのほうのウィルソンならわかるんだけれど……と思って元の文章をさがしてみたところ、これは一九四五年に書かれた "Tales of the Marvellous and the Ridiculous"というエッセイの一部だった。このエッセイはClassics and Commercials という彼の四十年代時評集成に収められていて、全体としては案の定ラヴクラフトへの罵倒に終始している。問題の一節は正確に引用するならば「ラヴクラフトは初期のH・G・ウェルズよりはかなり劣るけれどある程度似た科学的想像力を持っている」
 


 
世のラヴクラフト愛好家の皆さんはこれを読んで怒ってはいけませんよ。なにしろ相手は誰がアクロイドを殺してもかまわないエドマンド・ウィルソンなんですから。
 
【追記】ウィルソンのこのエッセイは、翻訳作品集成によれば、国書刊行会から出た『真ク・リトル・リトル神話大系』第七巻に「ラヴクラフト「神話」について」という訳題で収録されているようだ(山中清子訳)。