高原英理 日々のきのこ

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 これは文章・内容ともに高原英理さんの現時点での最高傑作ではないか(もっとも全作読んでいるわけではないので確言はできないが)。最初のほうののんびりして滋味のある文章は鏡花を思わせる。そういえば昔の『小説幻妖』に鏡花の茸の小説が載っていたなあ、リチャード・ドイルの挿絵がついていたなあ、とか思っているうちに、この小説は鏡花風の雰囲気を保ったままですさまじい退行願望の世界に突入していく。

 『いかに終わるか』の次に読んだためことさらそう感じるのかもしれないが、ここにも六十年代SFの毒がうっすらと染みているように感じられる。すなわち新宿が緑に覆われる河野典生「緑の時代」であり、バラードの『結晶世界』であり、アミガサの出てくる『地球の長い午後』であり、あるいは人体改変ユートピアである『家畜人ヤプー』の毒さえ染みているような気がする。三島由紀夫が深沢七郎の「楢山節考」を読んで発した嘆声「しかしそれは不快な傑作であった」も思い起こされる。

 しかしそれら諸作と全然違うのは、ここでは時間が徹底的に止められているところであろう。破滅ものSFではふつう破滅にいたる時間が意識され、それが破滅感を煽りたてる。だがここで時間は、澁澤の論じるユートピアのように止まっている。全篇が断章で構成されていて、互いの関連がぼんやり示唆されてはいるものの、時系列的な順序が故意にあいまいにされている。

 そして時間が止まるということは、時間が意識されなくなるということでもある。ひいては人の意志がなくなるということでもある。本邦幻想文学の一つの到達点として一読をお薦めしたい。