まるでフランセス・イエイツのような

  
 あちこちで好評でたちまち重版したという噂の『ヒュパティア 後期ローマ帝国の女性知識人』を遅まきながら買って一読してみた。なるほど面白い。注釈などを除いた本文だけで約二百ページという分量も手ごろである。世の読書人たちの嗅覚にあらためて感嘆した。

 とはいうものの、拙豚はこの分野にはまるで門外漢であるので、良質の推理小説として楽しんだ。たとえば『時の娘』みたいな。

 たいていの推理小説がそうであるようにこの本も殺人で始まる。それからいろいろ記述があって、第八章でふたたび殺人の場面になる。驚くことに、ここにいたると、それまでは一見脈絡のなさそうだった記述が、パズルのピースを合わせるようにピタリピタリとはまっていく。これが推理小説の楽しさでなくてなんであろう。

 たとえば第一章で語られる国際都市アレキサンドリアのエリート層でそうでない層の社会的分断も、第四章で語られる中年期ヒュパティアのキリスト教徒集団とのかかわり方も、第六章で語られる哲学者の社会的役割やヒュパティアの弟子シュネシオスの活動ぶりも、第七章で他の女性哲学者たちと対比されたヒュパティアの特異性も、その章だけを読んでいるかぎりでは各々ばらばらの話題のように見える。

 しかし! 第八章におよぶと事態は一変する。アレキサンドリア主教としては明らかに力不足なキュリロスと、しょせんは二年程度の腰掛け役職でしかない総督オレステスの意地の張り合い(としか思えないもの)が、それまではかろうじて保たれていたアレクサンドリアのバランス・オブ・パワーを崩し、非エリート層を巻き込んで、虐殺にまで発展する(ここらへんはダシール・ハメットを思わせる)。

 ここにおいてこれまで述べられてきた階層的分断や哲学者の社会的役割やヒュパティアの特異性などもろもろが一挙に伏線としての性格を露わにして、序章で素描された事件が奥行き深い立体的なものになる。これはすごい!
 

 
 それはそうと世界の調和を願う哲学者の挫折はフランセス・イエイツの著書でおなじみのものだ。『薔薇十字の啓蒙』で語られるフリードリヒ五世と王女エリザベスの「化学の結婚」もそうだし、『エリザベス朝のオカルト哲学』で語られるキリスト教カバラもそうである。その意味で本書もフランセス・イエイツ的な主題を扱っていて、内容的にはそこをいちばん興味深く読んだ。