悪の起源


続いて『悪の起源』のところを読む。この長篇をむかし読んだときは、結末で明かされる贈り物の意味にあぜんとして、今でいうバカミスではないかと思った。「何でこんなものを書いたのだろう」という不思議な感じはいまだに残っている。

だが書簡を読むとダネイはこの作品に自信満々だ。「私は嘘偽りなく思ってるよ、マン。この本は里程標になり得る――われわれにとって華々しい本になるだけでなく、〈探偵‐ミステリ〉の分野自体においても」(1950年1月27日リー宛書簡)。だから少なくとも冗談で書いたのではないらしい。

だができあがった作品は、ダネイの期待に反して、「里程標」(マイルストーン)にはならなかったと思う。どこがまずかったのか。この往復書簡集でわかるかぎりでは、またしてもダネイとリーの齟齬――ダネイの真意(というか稚気)をリーがうまく理解しなかったためではという気がする。

最初の手紙(1月23日)でリーはファンタジーとリアリティの相克について語っている。ダネイはハリウッドを「ファンタスティック」な場所ととらえているが、実際にその近くに住んでいるリーはそれは誇張されたイメージだという。このようなリーのリアリズム癖が、この作品を(あえていえば)失敗させた原因ではないか。この作品の中心アイデアであるダーウィン絡みの着想は、舞台が思い切ってファンタスティックでないと生きてこない。だから不思議の国としてのハリウッドのほうがよかった。

登場人物にしてもそうだ。たとえば淫婦デリアは、昨日引き合いに出した「不連続」でいえば、あやか夫人みたいな天衣無縫の妖精的キャラとして描くべきだった。おしまいのほうに出てくる盗賊仲間も、たとえば『宝島』に登場するような人物として描くべきだった。そんなふうな童話的雰囲気に包まれてこそ、例の着想も映えるではないか。リーが変にリアリズムにこだわったために、デリアも盗賊仲間も重苦しい人物になってしまった。

登場人物の名にアナグラムが仕掛けられてたのには驚いた。しかしこれもラストで種明かししたほうがよかったのではないか。エラリーがこのアナグラムを解いたことにして、「もちろん偶然の一致ですが、驚くべき暗合です」とか言わせたら面白かったと思う。