註の数

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 Youtubeにアップされた『七つの夜』の元講演と後に書籍化されたテキストを比べると、あちこちで細かな推敲がなされているのがわかる。たぶんこの時期 (1970年代) にはボルヘスは自分で校正刷りをチェックしていたのだろう。

 だが1985年に一冊目の初版が出た『記憶の図書館』の頃になると、校正は人に任せきりだったのではなかろうか。なにしろ同年に出た詩集『共謀者たち』さえ、「校正刷りは見ていません」とこの対話で語っているくらいだから、いわんや対話集においておや、という感じがする。

 むかし松山俊太郎が現代教養文庫で『黒死館殺人事件』の校定版を出したとき、「カペルロ・ビアンカ」をはじめとする怪しいところは片端から本文を直すという暴挙(といっていいと思う)に出たことがある。でも今回ボルヘスの対話集を訳していて、不遜ながら松山翁の気持ちが少しわかったような気がした。

 「カペルロ・ビアンカ」ほどではなくても、ちょっとこれはどうかな? と思うようなところがポツポツ見つかるのである。録音を文字起こしするときの単純なミスらしきものもあれば、ボルヘスの記憶違いに起因するらしいものもある。しかし対話集とはいえ、ボルヘス御大の本文を直すのはあまりに僭越な行いである。どうすりゃいいの~さ~しいああ~んんばあし~という感じである。

 思案のあげく校定の原則は次のようにした。

(1) おそらく録音の文字起こしミスに起因するもので、仏訳で黙って本文を直しているところは、邦訳でも原則として黙って直す(一例をあげれば、 × mon vieux temps → 〇 bon vieux temps)。

(2) ボルヘスの記憶違いと思われるものは、本文はそのまま訳し、章末註でツッコミを入れる。

(3) よくわからないけど何となく変なものは、原則として本文はそのまま訳し、註も入れない(触らぬ神に祟りなしである。「ここは何となく変です」という註を入れるわけにもいかないし……)。

 このツッコミ註の他に解説的な註もあるので、結果として註がやたらに多くなった。この『記憶の図書館』は世界八か国で翻訳されているらしいが、おそらく日本語訳ほど註が多い版はなかろうと思う。最初は『ジャーゲン』の註の数を凌駕して威張るつもりだったけれど、最終的に数えてみたら『ジャーゲン』に負けていた。残念である。