また佐野洋を読んだ

また佐野洋を読んだ。今度は『同名異人の四人が死んだ』。


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 人気作家名原信一郎がある地味な地方紙に『囁く達磨』という中篇小説を連載した。それからかなりたって、不思議な事件が起こる。その中篇では四人の人物が死ぬのだが、その作中の四人と同姓同名の四人が、現実に次々死んでいくのである。

 もちろん名原自身は事件には何のかかわりもない。また名原の証言によれば登場人物の名は実在の人間から採ったものではないという。ということは犯人が作中人物の名と同じ名を持つ実在人物をわざわざ探して殺したとしか思えない。

 つまりこの小説は、「ある一定の法則にしたがって連続殺人が行われるのだが、犯人がなぜその法則に従うのかわからない」という謎を扱っている。一種のホワイダニットである。

 この種の謎の解決でいちばんつまらないのは、犯人の頭がおかしかった、いやそこまでいかなくても、動機がいわゆる狂人の論理に(あるいはフロイト的な意識下の動機に)もとづいていたというものである。あの『ABC』にさえ少しそのきらいはある(正気の人にはとても実行できまいと思わせる点で)。ましてや『僧正』や『悪魔の手毬歌』などにおいておやである。『五番目のコード』も佳作だったがその点が少し物足りなかった。

 いわゆるミッシング・リンクもの、つまり「一見ばらばらの連続殺人に実は意外な関連があった」という謎にしても同じで、動機が狂気じみてきたり精神分析じみてくるとやはり興ざめである。一般に名作といわれている『九尾の猫』も、その点が不満に感じられる(それにあの本の統合失調症だったかの描写には今では少し問題があるような気がする。あと某容疑者について、九件の事件のうち一件にアリバイがあったから残りの八件もシロとするのは、エラリーの推理にしては粗雑すぎやしないだろうか)。

 まあそれはともかく、それに比べると、あの『プレード街の殺人』は、動機のまっとうさの点で、さすがに古典の名に恥じない名作だと思う。「一見ランダムに選択されたように思えた被害者たちは、実は本当にランダムに選択されたものであった——ただし犯人以外の手によって」というアクロバット的な真相がすごい。どこかで新訳が出ないものだろうか。それともみんなトリックを知っているから「今さら」と感じられてしまうのだろうか。

 余談が長くなったけれど、この『同名異人の四人が死んだ』も、犯人がバリバリの正気である点で高く評価できる。つまり犯人にはその四人全員を殺すのっぴきならない、そして卑俗な動機があるのだ。俺だってそんな事情があればやはりその四人を殺すかもしれないな、という納得感がそこにはある。

 佐野洋はよく心理的に読者を迷わせる卑怯な手を使うが、この作品にかぎっては大直球勝負である。律儀に一章にひとつづつ重要な手がかりを出してくる。だから本当は第十三章あたりまで読むと犯人がわかってもいいはずなのに……いいはずなのに……やはりまんまとしてやられるのであった。