『アエネーイス』の三種の訳

ラウィーニア (河出文庫)

ラウィーニア (河出文庫)

 ル=グウィンの『ラウィーニア』が文庫になった! 拙豚はル=グウィンはほとんど読んでいないのだが、読んだ中で一番好きなのはこれだ。訳者あとがきにはウェルギリウスの『アエネーイス』を読んでなくても大丈夫というようなことが書いてあって、それは確かにそうかもしれないが、やはり読むと読まないとでは大違いである。というか、ル=グウィンが仕掛けた企みは前もって『アエネーイス』を読んでないとあまり実感できないだろうと思う。

 それではひとつ『アエネーイス』を読んでやりましょうかという気になったとき、今手に入りやすい訳は三種ある。岩波文庫の泉井久之助訳、京都大学学術出版会・西洋古典叢書の岡道男・高橋宏幸訳、それから新評論の杉本正俊訳である。
 
 
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 訳しぶりは三者三様にかなり違う。例としてトゥルヌスの妹婿ヌマーヌスがアエネーアースの息子アスカニウスをdisるシーン(巻9, 612-618行)を比べてみよう。ます泉井久之助訳だとこんな感じである。

兜で白い髪押え、常に新たな戦利品、
たずさえ帰って略奪に、生きるを誇りとするわれら!
それにくらべて貴様らは、サフラン色と紫の、
輝くころもを身にまとい、怠惰にふけって心萎え、
踊りにおぼれて他愛なく、内衣といえば袖があり、
頭に載せる頭巾には、何とリボンがついている!
貴様らトロイアの女たち!——トロイアの男と言えるかい!——
貴様なんぞはディンデュマの、高みをうろうろするがよい。
そこなら貴様らいつものよう、音出す二つの口のある、
笛の音十分聞けるわい。

 
これが岡道男・高橋宏幸訳だとこうなる(訳文中の「プリュギア」とはトロイアのこと)。

われらは白髪にも兜をのせる。つねに奪ったばかりの
戦利品を持ち帰り、獲物により暮らすことが喜びだ。
おまえたちは、サフラン色や輝く紫の糸で刺繍した衣を着て、
心は惰弱、歌や踊りにふけるのが楽しみ。
トゥニカには袖、頭巾にはリボンがついている。
ああ、本当はプリュギア女なのだ。男ではないのだから、行け、高き
ディンデュマへ。そこだ、馴染みの笛が筒二つの調べを鳴らすのは。

 
ところが杉本正俊訳だとぐっとくだけて、いかにもdisっているという感じになる。

 われらはな、白髪頭にこう兜をぐっと押しつけてじゃ、つねに新たな獲物を持ち帰る。略奪こそがわれらの生き甲斐じゃ。
 しかし貴様らにはな、鮮黄(サフラン)染めじゃの紫貝(ムーレクス)染めじゃの、けばい衣装がお似合いじゃ。ダンスなどにうつつを抜かす、性根の腐って抜け落ちた貴様らにはな。
 貴様らの寛衣(トゥニカ)には、長袖がついていやがる。それと、あれあれ、頭巾(ミトラ)の花リボン、何じゃあれは。
 おお、プリュギア人どもよ、いやさプリュギア嬢さんたちよ、ささ、ディンデュマのお山に行きましょ。そこで吹きましょ両穴(りょうけつ)の葦笛。

 
 拙豚はラテン語を一字も解さぬゆえ、どれがいいとか悪いとかいう資格はまったくない。しかし正直に言うと最初の二つの訳は読むのにすごく難儀した。杉本正俊訳が出てくれたおかげでようやくこの名高い名作を最後まで読み通せたのだった。この杉本正俊訳で読む『アエネーイス』はル=グウィンの『ラウィーニア』に劣らず面白い(嘘じゃないよ)。「~じゃ」という時代劇めいた語尾や、「いやさ」というような民謡もどきの表現、さらには「けばい」というような現代の俗語の使用もいい味を出している。もっとも煉獄のウェルギリウスがこの訳を知ったらカンカンになって怒るかもしれないが……。しかしル=グウィンの『ラウィーニア』を百倍楽しむためにはこの杉本正俊版『アエネーイス』は実に強い味方なのだった。