アンソロジーの終わりかた

澁澤龍彦の編纂による『怪奇小説傑作集4』はアンソロジー史に残る名アンソロジーだと思う。

と言うと一知半解の徒は「あれはカステックスのアンソロジーが種本になっているから」とか何とかいうだろうが、それは見当違いもはなはだしい。カステックスのアンソロジーの最後はアポリネールの『虐殺された詩人』の最後の短篇「蘇った詩人」である。いわば他人のフンドシを借りるような終わり方である。ところが『怪奇小説傑作集4』のトリはレオノーラ・カリントン「最初の舞踏会」である。これがすばらしい。

と言うと一知半解の徒は「あれはブルトンの黒いユーモア選集に入っているから」とか何とかいうだろうが、それは見当違いもはなはだしい。あれはまさに、澁澤アンソロジーの最後を飾るために書かれたような短篇である。あえていうなら、あそこに出てくる女の子は、はるかに後の『裸婦の中の裸婦』で、澁澤の話し相手となる女の子を予告しているような感じさえする。

この短篇の原題は「デビュタント」といって、「社交界にデビューする娘」という意味である。最後に置かれた短篇が最初(デビュー)というのが洒落ているではないか。しかもこのデビューは社交界デビューで、つまりそれは少女時代の終わりを意味している。ところが主人公の少女はそれに叛旗をひるがえす。澁澤は映画『ブリキの太鼓』を見て泣いたとどこかに書いていたが、それと一脈通じるものがある。

少女が最後に出てくるアンソロジーといえば、都筑道夫編のポケミス版『幻想と怪奇』のラストである「ミリアム」も忘れがたい。しかしあれはどちらかというと少女よりも老婦人の心理のほうに重心が置かれていた気がする。いやそんなこともなかったかな? 

この短篇は「『ヘロー』ミリアムが言つた。」という文章で終わるが、このセリフは二人のミリアムのうちどちらが言ったのか。その解釈によって、この短篇の受け取り方は相当に異なってくるだろう。もちろん作者はそこを故意にあいまいにしているのだと思う。