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ギリシャ棺の謎【新訳版】 (創元推理文庫)

ギリシャ棺の謎【新訳版】 (創元推理文庫)


外国語で書かれた小説の中に、別の外国語が入っていることがある。たとえばエラリー・クイーンが会話の中でラテン語の引用句を挟むような場合である。たまたま手元にある本で例をあげると『ギリシア棺の謎』の第十二章でLa patience est améreなんとかかんとかとフランス語をつぶやくような場合だ。

今ではエラリー・クイーンくらいにキザな人間でもないかぎり、こんな恥ずかしいことはやらない。しかしフランス語が貴族の嗜みであった帝政時代ロシアの小説なんかではひんぱんにそういうのが出てくる。

こういうものの訳し方は、大きく分けて五通りあると思う。

  1. たとえば”ergo"の場合、"ergo"とそのまま訳文でも書き、「エルゴ」とルビをふって、割注で(故に)と説明する方法。上にあげたクイーンの井上勇訳はこの方式である。
  2. 訳文では「故に」と訳して書き、「エルゴ」とルビを振る方法。たぶん今はこの方法が主流だと思う。
  3. 「ユエニ」と、外国語部分の訳文をカタカナで書き、そこが外国語であることを匂わす方法。ロシア文学の古い翻訳で、会話中のフランス語を処理するときなどによく見られる。
  4. 「『故に』と彼はラテン語で言った」という風に説明的に訳す方法。たまに見かける。
  5. 単に「故に」とだけ訳し、原文がラテン語であることは訳文には表わさない方法。ことさら外国語であることを意識させないくらいにその国の言葉に溶け込んでいる表現の場合はこれで十分(たとえば「アプリオリ」など)。


拙豚はといえば、むかし井上訳でクイーンを読んでいた時、「エラリークイーンかっこいいなあ」と感銘を受けたせいもあって、自分の翻訳でも1の方式を愛用している。ただし読み方のルビは間違えると恥ずかしいので省略している。ペルッツの『林檎ちゃん』のときも、かなり長いフランス語が出てくるが、やはりこの方式にした。ただこの方式だと、原文と訳文が簡単に対比できるため、誤訳したときは一目瞭然になるという欠点もある。

『怪奇骨董翻訳箱』だと「コルベールの旅」にフランスかぶれの商人が出てきて、この人がやたらめったら会話にフランス語を混ぜる。このときも1方式で訳したのだが、そのゲラを見た局長と少し議論になった。局長は2方式にしないかというのだ。

このときはさすがにかなり迷った。1方式でやると日本語の文章にやたらに横文字が混じり、横文字のアルファベットと割注の小活字で版面がグシャグシャになって、見るからに汚らしくなるからだ。2のルビ方式にすれば、それほど汚くもなくなる。

しかし「ラ・パアシアンス・エ・タメール」などとカタカナでルビを振っても、フランス語を知らない人には念仏にしか聞こえないだろうし、逆にフランス語を知っている人にとっては、たどたどしいカタカナ書きより原文をそのまま書いた方がいいだろうと思った。

それからこのフランスかぶれ商人のキザぶりを表わすには、やはりフランス語をそのままアルファベットで書いて、異物感を強調したほうがよかろうではなかろうかとも思い、結局そのまま押し通したのだった。しかしこれについては今でも「これでよかったのだろうか」と迷っている。

ということで、『イヴ』の場合はそれほど異物感を強調する必要もなかろうと思っておおむね2方式にした。