『幽霊島』の刊行に寄せて

 
あなたが一流のレストランに行ったとしよう。コースを一通り堪能し、コーヒーを啜りながら、「ああ美味かった」と味を反芻しているとしよう。そんなときシェフが不意に現れて、「でも料理は自分の家で作るのが一番ですよ」と言い出したら、あなたはどう思うだろう。「何だこいつは?」と思うだろうか。

平井呈一の『怪奇小説傑作集1』での解説がまさにそれで、その文章はこう結ばれている。「冬の晩、字引をひきひき恐怖小説を読む醍醐味はなんともいえないもので、いちど味わったら長く忘れることのできないものです。試みにはじめてみられるといいと思います」

翻訳者としての役割放棄とも見られかねないこの言葉は、しかし、何百人かの人たちには啓示(あるいは呪言)として作用したとおぼしい。のちにカナダの幽霊小説専門書肆アッシュ-トゥリー・プレスが出した限定本は、総部数の半分を日本人が買っていると噂されたが、そんな謎めいた現象にも、平井翁のこの言葉が少なからず影響しているような気がする。

つまり翁の翻訳は翻訳というより言葉あるいは文化の溶け合わせともいうべきものだ。ちょうどラフカディオ・ハーンが日本の古譚のなかにghostly Japanを見出し、シンプルながら喚起力の強い英語で表現したと同じように、平井呈一もその類まれなる妖怪アンテナでとらえたghostly Englandを、日本語のなかに放流というか解き放ったわけである。まことにこの二人は、日→英と英→日と方向こそ異なれ、鏡面で隔てられた双子の兄弟みたいな趣がある。二人とも母語の文学への広い教養がバックグラウンドにあるという点をとっても。

表題作となっている「幽霊島」は「なんでこれほどの作品が埋もれているんだろう」とかねがね疑問に思っていたほどの名作。この機会に多くの人の目に触れるのは喜ばしい。