こんまり入門

巷で噂の『人生がときめく片づけの魔法』をちょっと覗いてみた。

人生がときめく片づけの魔法 改訂版

人生がときめく片づけの魔法 改訂版

「選別と収納を同時にしてはならない」とか、「服なら服をまず一か所に集めろ」とか、色々いいことが書いてある。だがこと蔵書に関しては、このメソッドを適用するのは難しいように思う。

なぜか。ドイツ語の神様と言われた関口存男が何かの本で、語学におけるトリヴィアルな知識の大切さについてこう書いていた(記憶で書いているので引用は不正確)。「塵も積もれば山となる、と言いますが、塵が一トンほども積もったら山になるのは当たり前で、とりたてて言うほどのことではない。わたしが言いたいのは、一トンの塵が積もればそれはもはや一トンの塵ではなく、一トンのダイアモンドと化すということであります」

「一トンのダイアモンド」というのはさすがに関口存男だけに許される形容であろうけれど、自分の経験から言っても一トンの塵が積もれば少なくとも一トンの大理石か一トンの青銅くらいには化すと思う。

蔵書もこれと同じで、一トン(単行本だと二千冊、文庫本だと四千冊くらい)の本が集まったら、すでにしてそれは一トンの本ではない。それじゃ何なんだと言われるとちょっと返答に窮するけれど、まあようするに全部融合して、諸星大二郎の「生物都市」みたいに「夢のようだ……新しい世界がくる……ユートピアが……」状態に化してしまうのである。ここにおいて部分という概念はすでに存在しない。だから一冊一冊取りだして、こんまりメソッドで「これはときめく、これはときめかない」とかやっても意味がない。非常に困ったことではある。