わが創元推理文庫神7(その5)

創元推理文庫は全集の宝庫でもある。とくに和物探偵小説の分野でそれは顕著で、『土屋隆夫推理小説集成』とか、『中村雅楽探偵全集』とか、『天藤真推理小説全集』とか、『渡辺温全集』とか、『大坪砂男全集』とか、はては『高城高全集』とか、正気の沙汰とも思えない企画が続けざまに放たれている。でもことごとく愛好家の秘孔を突いたものばかりだ。読者の弱いところを知り尽くしているのがにくい。

そこで神7の五冊目は全集ものからピックアップして、これ。

 
ラヴクラフト全集はすでに創土社から出つつあったので神7ルールに抵触する気もするが、無事完結した文庫版全集に敬意を表してあえて選んだ。ラヴクラフトの全集を文庫で出すなんて当時は暴挙としか思えなかった。当時の『幻想文学』のレヴューで、どなたかだったか忘れたが、「たとえこの腕が痺れても、俺は(重厚な)創土社版全集で読む!」という趣旨のことを書いていらした方がいた。時代の雰囲気はそんな感じだったのだ。

この本の訳者大瀧啓裕氏といえば、われわれの世代では、サンリオSF文庫における活躍がまず印象に残っている。何しろ見たことも聞いたこともない傑作が大瀧プロデュースでホイホイ出てくるのだ。のちに出た『魔法の本箱』で、夥しい量の原書を渉猟されていることを知り、さもありなんと納得した。

『探偵ダゴベルトの功績と冒険』の打ち合わせで東京創元社にお邪魔したときの話である。話題がたまたま大瀧氏の訳した『文学における超自然の恐怖』に及び、何気なくわたしは「あの〈カズマパラトゥン〉はすごかったですね」と口にした。

すると編集者の方は「見損なってくれちゃ困るわね」とでも言いたげな顔になって、「〈カズマパラトゥン〉はうちの方が早いんですよ」と教えてくれた。他社の後塵を拝していると思われるのは心外である、というような口ぶりだった。

あとで調べてみたら確かにそうだ。『ゾティーク幻妖怪異譚』の解説ですでに〈カズマパラトゥン〉は使われていて、これは2009年8月の刊行だから、同年9月に出た『文学における超自然の恐怖』より一か月だけ早い。おそれいりました! 厳密な校閲をもって鳴る東京創元社と厳密な発音表記の大瀧氏が組むと最強のタッグチームになるのだなと感服してわたしは社屋をあとにしたのだった。