黄色の研究


外国語の色の名は、訳すのが簡単なようで案外難しい。
たとえば"purple"。「紫でしょ。ディープ・パープルっていうじゃない」と言われる方もいるだろう。ところがディープでないただのパープルは、日本語でいう紫よりもっと赤みがかった色らしい。とりわけ古い文章ではそうである。たとえば柳瀬尚紀訳ロナルド・ファーバンク『オデット』の最初のパラグラフを見よう。

 暮れなずむ夏の日々、影がのろのろと芝生を這い、遠い大聖堂の塔たちが沈みゆく陽に茜色に染まる頃になると、幼いオデット・ダントルヴェルヌは、灰色の古城をいつもこっそり抜け出しては、小鳥たちが木立の中で「おやすみ」「おやすみ」とささやき合うのに耳を傾けるのだった。


うっとりするような名調子で、さすが柳瀬尚紀、せめて『ユリシーズ』を訳し終えてから世を去ってほしかったと思うけれども、それはともかく、この文中の「茜色」は原文では"purple"だ。

それから"rose"。これは直訳すると「薔薇色」で、今再校中のゲラにもこの色は出てくる。



これはもちろんクリムゾン・グローリーみたいな深紅ではなく、ピンク色のことである。しかしこれを「ピンク色」あるいは「桃色」と訳すと、「薔薇色の人生」みたいな多幸感的ニュアンスが消えてしまうのでなかなか難しい。

だがいちばん厄介なのは"yellow"であろう。このごろはあまり言われなくなったが、かつては日本人を含むアジア系人種は「黄色人種」と呼ばれていた。だが自分の肌の色を見ても黄色系の色とはとても思えない。かといって何色なのかと言われても困る。しいて言えば「肌色」か。
英英辞典(オックスフォード現代英英)を引くと、肌の色を指す場合は"light brown"と説明されてある。一応なるほどとは思うが、でもちょっと違う。"light brown"というと健康的なイメージだが、"yellow"にはむしろ不健全な感じがまとわりついている。

『黄色い部屋の謎』というミステリがある。ここに出てくる黄色の部屋は、ヒマワリみたいなまっ黄色ではない。この小説は新聞記事風の文体で書かれていて小説的な描写はあまりないが、日影丈吉訳のハヤカワミステリ文庫によると、問題の部屋の色は正確には鬱金色のようだ。

それから「黄色い壁紙」(The Yellow Wallpaper)という気持ち悪い短篇がある。東京創元社の女性怪奇作家アンソロジー『淑やかな悪夢』のなかに入っている。ここに出てくる「黄色い壁紙」もまっ黄色というわけではない。

……色はほんとうに虫の好かない色で、胸が悪くなるようだ。くすんだ、不潔な感じの黄色。日に灼けて褪せたせいで、こんな妙な感じの色になったのだろう。/ところどころは鈍いけれど毒々しい印象のオレンジ色、その他の部分は病的な硫黄の色。(西崎憲訳)

つまりここで言う黄色は、厳密に言うとオレンジ色の混じった硫黄色である。硫黄色というとたぶん古い五円玉みたいな色なんだろうと思う。

それからシャーロック・ホームズ譚のひとつに、「黄色い顔」(The Yellow Face)と題されたものがある。心暖まる話で、わたしはこんなのに弱く、ラストシーンには目がうるうるしてしまう。そこでは「黄色い顔」はこんなふうに描写されている。

一番強く印象に残ったのは、顔色です。死人のような鈍い黄色で、こわばった感じの不気味さがあったんです。(日暮雅道訳)

少し後で、この顔は別の語り手によってこう描写される。

こちらを向いた顔がなんとも不気味な土気色で、表情がまったくなかったのだ。

つまりここでいう「黄色」は土気色のことらしい。

ということで"yellow"は場合によって鬱金色や硫黄色や土気色だったりするけれど、ここで腑に落ちないことがひとつある。もしそれぞれの作品で部屋の色や壁紙の色や顔の色が鬱金色や硫黄色や土気色であるのなら、どうしてガストン・ルルーやシャーロット・ギルマンやコナン-ドイルは『鬱金色の部屋の謎』とか「硫黄色の壁紙」とか「土気色の顔」とかいうタイトルをつけなかったのだろう。どうしてまず「黄色」といっておいてから、おもむろに鬱金色あるいは硫黄色あるいは土気色と説明を補うのだろう。

思うに、これらの作品では鬱金色あるいは硫黄色あるいは土気色などの表現では醸し出せない、"yellow"だけが持つ不吉なニュアンスが必要だったのだろう。"rose"をピンク色と訳すとハッピーな感じが消えてしまうように、"yellow"を"yellow"以外の言葉にすると、何か大切なものが消えてしまうのだろうと思う。

ここまで書いて思い出したけれど「黄色いナメクジ」という陰惨な短篇もあった。