別府とフィンランド


ここを見ている方ならたいていご存じと思うが、ある国内ベストテン級のミステリでは、別府はあの温泉で有名な大分県の町ではない。といって、パラレルワールド異世界ものというわけでもなく、何というか、もっと陰険で悪辣なものである。

だがこんなトリックを弄するのは日本人ばかりではない。エドマンド・ウィルソンの著書に『フィンランド駅へ』というのがある。このタイトルの「フィンランド駅」は実はフィンランドの駅ではない。そしてそれが明かされるのは最終章においてである。このミステリ的なセンスのよさにはちょっと感心した。ウィルソン氏もなかなかやるではないか。
エドマンド・ウィルソンというと、ミステリ界では「誰がロジャー・アクロイドを殺そうとかまうものか」というミステリ罵倒文で知られている。しかしわたしはひそかに思うのだが、これは一種のツンデレではなかろうか。この罵倒文のタイトルはむしろ、「だ、誰がアクロイドを殺したって気にしないんだからっ!」と訳した方が実情に沿うのではなかろうか。
だってそうではないか。本当に誰がアクロイドを殺しても気にならないのなら、大批評家のウィルソン氏ともあろうものが、わざわざこんな憎まれ口をたたく必要はない。単に黙殺すればいいだけの話だ。

ところで急に話は変わるが、いま訳している小説では主人公がルーマニアからブルガリア経由でウィーンに向かうのだが、いきなり場面がクラクフの駅になる。クラクフといえばポーランドである。日本でいえば、東京から大阪に向かう人がいきなり金沢駅に顔を見せるくらいの違和感がある。
だが別府やフィンランドでさんざん懲りていたわたしは、その手は桑名の焼きハマグリとばかりに、この「クラクフ」なるものはポーランドクラクフではないのではないかとまず疑った。こういうスラブ風の地名は別に他のスラヴ語圏の国にあったっておかしくはない、と思って探してみたがどうしても見つからない。残念ながら鬼貫の境地にはまだまだ遠いようだ。