登場人物表のパラドックス

  
今はむかし、世紀の変わり目前後に、ミステリ系サイトが栄えた一時期があった。実をいうとこの「プヒプヒ日記」もそれら先輩サイトに刺激を受けて生まれたものだ。ところが栄枯盛衰は世の習いで、当時の人気サイトも今ではほとんど消えてしまった。ネット界ミステリ言論の主戦場はフェイスブックやツイッターに移ったのかもしれない。

そんな当時のミステリサイトのひとつに『煙で描いた肖像画』の登場人物表についての話題があった。どのサイトだったか忘れてしまったが、今ではこのサイトも消えているようだ。

この『煙で描いた肖像画は、主人公の青年A氏と、彼が恋するB嬢を巡って展開される物語である。ところがこの本の登場人物表にはもう一人、C氏の名が挙げられている。

これについて、くだんのミステリサイトには、だいたいこんなことが書かれてあった。(記憶だけで書いているので違っていたらご容赦を)

「C氏は体裁を整えるだけのために登場人物表に入れられたのは明らかだ。C氏を入れるなら同程度に重要なD氏とかE氏とかF氏とかも入れるべきではないか」

まあこんな実にどうでもいいことでも真面目に議論がなされていた古き良き時代ではあった。

ところで今とある長篇を翻訳しているのだが、登場人物がやたらに多いので、登場人物表をつくりながら訳している。こんなふうに自分で作っていると、『煙で描いた肖像画』の登場人物表におけるC氏の存在意義がよくわかる。考えてみればいやしくもミステリ出版の老舗東京創元社が「体裁を整える」だけのために余計な人物を表に入れるわけはない。

確かにC氏は、D氏とかE氏とかF氏と同様、ストーリーの進行上はいてもいなくてもいい端役である。だが同時にC氏は、D氏とかE氏とかF氏と違って、登場人物表になくてはならない人物なのである。

ではなぜそんなパラドックスめいたことが起きるのかということは、登場人物表が何のためにあるかをを考えてみればわかる。登場人物表とはもちろん、「あれ、このナントカさんっていう人はどういう人だったっけ」と読者が疑問を持ったときのためにある。

D氏とかE氏とかF氏とかは一場面にしか出てこない端役である。だから読者はその人物が退場すると同時にその存在を忘れてしまってもいっこうにかまわない。

ところがC氏は、始末が悪いことに、端役ではあるのだが、物語のはじめのほうでチョロっと出てきて退場し、その後物語がある程度展開したところでもう一度チョロっと出てくる。だからこの再登場の場面で「あれ、Cさんってどういう人だったっけ」と疑問を持つ読者も当然想定される。だから端役だけど登場人物表にはいなくてはならない。

ちらと思いついたのでメモ。こんなことを書いている暇があったら翻訳をさっさと進めんかいという気もするけれど。