ウィーン問題


翻訳をしていてときどき迷うのはカタカナでどう表記するかである。世の中には名状しがたく表記にこだわる本もあって、たとえば「百貨店」と書けば三字ですむのに、わざわざカタカナで、「デパート(アメリカではディパートメント・ストーア、イギリスではディパートメンタル・ストーアで、本義は売場がたくさんある店)」と、その二十倍の文字数を使っていたりする。それはもう、一度医者に見てもらったほうがいいんじゃないかと他人事ながら心配になるくらいの徹底ぶりである。ちなみにこの本はデパートについて書かれているわけでも何でもない。単に話のついでにデパートが出てくるだけなのにここまでこだわっている。
後進の翻訳者としては、こういう先達の姿勢をどの程度まで踏襲すべきなのだろうか。

オーストリアの首都Wienは永く「ウィーン」と表記されてきたが、最近ではより正確に「ヴィーン」と表記する本がふえてきた。とくに専門書の場合は今やほとんど「ヴィーン」になっているといっていい。
ところが私は「ヴィーン」には抵抗があって、いまだに「ウィーン」派である。「ヴィーン」という音には、なんというかこう、歯科医のドリルが高速回転しているような響きがあって、いまひとつなじめない。もっとも中には「ウィーン」のほうがよっぽど歯科医のドリルみたいだと思う人もいるだろうから、なかなか一筋縄ではいかずそれが悩ましいところだ。
あと問題なのは、/v/がもともと日本語にはない音素なことである。百歩ゆずって「ヴィーン」と表記することになっても、上前歯を下唇に当てて出す音を読者が頭のなかで響かせてくれるのならまだ許せる。だがもしそれが、「ビーン」や「ブィーン」だったりしたら、もう頭をかかえて転げまわるしかない。少々不正確であろうと「ウィーン」のほうがなんぼかましというものだ。

Richard Wagnerは、まだ翻訳中にお目にかかったことはないが、もし出てきたら「リヒャルト・ワグナー」とすると思う。「ヴァーグナー」はvaginaと音が似ていて何となくいやである。それからBeethovenは慣用表記では「ベートーベン」、より原音に近い表記では「ベートホーフェン」だから、「ベートーヴェン」というのはありなしで言えばないと思う。