特殊ミステリの先達


龍を探せ」を読んでいるうちに、これに似た味わいのものを昔読んだことがある気がしてきた……ただし倉阪作品ではない……何だったっけ……何だったろう……。やっと思い当たった! もう十年以上も前に読んだ『ニッポン硬貨の謎』だ。
この小説はエラリー・クイーンの未発表原稿を北村薫が翻訳したもの、という体裁をとっていて、文体もそれらしく作っている。つまり一種のパスティーシュだ。このなかで探偵兼作家クイーンは日本の出版社の招きに応じて来日し、そこでたまたま出くわした事件の謎を解く。
小説の最後で真相が暴かれるのは作中の連続小児殺人事件と、それから「五十円玉二十枚の謎」なのだが、そのどちらの真相も、実にあんまりで、「クイーン作品のパスティーシュ」という枠があってかろうじて成立するものだ。
「龍を探せ」の真相も「クラニーミステリ」という枠の外ではあまりありそうもないものだが、その枠の中だと実に納得できる。他の作家が同じネタで書いたら、たぶん倉阪作品のパロディにしかならないだろう。北村薫がクイーンの論理でミステリを書いてもパスティーシュにしかならないように。
つまり『ニッポン硬貨の謎』の最後に明かされる真相は、先行するクイーンの作品があるからこそ、腑に落ち……いや腑に落ちはしないかもしれないけれど、「いかにもクイーンらしい真相だな」と、パスティーシュの見事さに喝采をおくることはできる。 
つまり「その作家自体のおかげでリアリティを持つ真相」という点で、二つの作品は共通している。

あと『ニッポン硬貨の謎』のほうについてだけもうひとつ。本家クイーンの作品はクイーン独自の異常性を持ちながらも、まだ普通のミステリに擬態している。その擬態を剥ぎとり、その本質をより浮き彫りにして提示したのが『ニッポン硬貨の謎』のあの真相とはいえまいか。つまりこの作品はパスティーシュという形式を取った批評であるのだ。この作品が本格ミステリ大賞の評論研究部門を受賞したのは、必ずしも作中の『シャム双子の謎』論のせいばかりではないと思う。