奥様は火星人


遅くなりましたが文フリ弊スペースに来てくださいました皆さま、どうもありがとうございました。

これから何回か、文フリで手に入れた本について書いてみようと思います。その第一弾はご存じ噴飯文庫の最新刊H.G.ウェルズ『星の児 生物学的幻想曲』昭和13年の『科学画報』に9回ほど連載されたまま中絶した翻訳を、発行者の絹山絹子さんが引き継いで最後まで訳し終えたものです。星の子といえばスターチャイルドっていうレーベルが昔ありましたね。今でもあるのかな。それはともかく今度は噴飯じゃなく素で面白いです。巻頭の解題によれば1937年に発表されたウェルズ71歳のときの作品なのだそうです。老いたりといえどさすがウェルズ、初期からのオトボケ感(南條竹則さんは古典新訳文庫の『盗まれた細菌/初めての飛行機』の解説でこれをウェルズ独特のユーモアと評していました)が健在なのが嬉しい。

主人公は歴史小説を得意とする作家のジョウゼフ・デイヴィス。この人がかなり年下の娘に惚れて結婚するのですが、そのうち奥さんにだんだん違和感を感じてきます。たとえば音楽会に誘っても「音楽ならこの前一回聞いたからもういい」と答えて行こうとしないのです。やがて奥さんは妊娠し、彼の不安はますますつのります。そんなある日行きつけのクラブで宇宙線の話を聞いたのがきっかけになって、ジョウゼフは恐ろしい疑惑にとらえられるのでした。

――と書くとサスペンス満点のような話に見えますが、そんなことはまったくありません。何を書いても黙認される境地に達した大御所ならではの、読者そっちのけの思索的な文章が淡々と続くだけなのです。でもこれはイギリス小説のある種の伝統的な型で、ちょうどオラフ・ステープルトンの『オッド・ジョン』とか『シリウス』がそんな感じなので、ああいうのを連想してもらえばよいと思います。あとはデヴィッド・リンゼイの『憑かれた女』とかアーサー・マッケンの『秘めたる栄光』とか、それからこれはイギリスではないけど、スタニスワフ・レムの『天の声』とか。

でもおそらくいちばん似ているのは三島由紀夫の『美しい星』でしょう。ツッコミ不在のボケ役のみの登場人物たちが謎の覚醒を遂げて、「誰か突っ込め! なぜ誰も突っ込まない」という読者の焦燥をよそにひたすら進むストーリー。そして人類の将来に希望を託すハッピーエンドなんだかどうだかよくわからないエンディング。文フリで買い逃した方も盛林堂さんで注文できるみたいです。