佐野洋とブラウン

 先日とある忘年会で「佐野洋のどこがいいのか」と聞かれた。なんという愚問であろう。気楽に読めて、読んでいるあいだ面白くて、読み終わったらスカッと忘れられる。多作にもかかわらず手を抜いたらしい作品がない。これほどのものが他のどこにあるというのか。それに二年もすれば犯人もトリックもプロットもキャラクターも何もかもあとかたもなく忘れているから、何度でも読み返しがきいてそのたびに楽しめる。つまり一生もののコストパフォーマンスを有しているし。

 もちろん佐野洋といえど、読後にモヨモヨとした後味が残る作品だって書いている。『死んだ時間』とか『白く重い血』とか……。まあそれらが力作であることは認めないではないけれど、必ずしもこの人の本領を発揮したものではないと思う。

 海外に佐野洋と似た作風の人を求めればフレドリック・ブラウンだろう。ブラウンは最近忘れられているみたいだけれど面白いんですよ。たとえば短い長篇『殺人プロット』の出だしはこんな感じ。

 ラジオドラマの脚本家ビル・トレイシーはある日朝刊を見て仰天した。彼のボスがサンタクロースの扮装をした男に射殺されたというのだ。なぜ彼が驚いたかというと、この「サンタクロースが射殺」というのは、彼が書きかけていた推理ドラマのプロットだったからだ。

 事前にこのプロットを知っている者がビルの他に一人だけいた。アパートの向かいの部屋に住んでいるミリー・ウィラーだ。ミリーの語るところによれば、彼女はビルがドアをきちんと閉めないで外に出て行ったのを目撃した直後、煙草を借りようと彼の部屋に入った。そのときタイプライターにはさまっていたプロットをたまたま読んだ。部屋を出るとき彼女は鍵をかけたので、彼女以外の者にプロットを読むチャンスはないはず――開巻20ページくらいで、これだけの事実が提出される。
さあ面白くなってきた。サンタの扮装は偶然の一致だったとか、ミリーが嘘をついているとか、ミリーが犯人とかいう陳腐な真相をブラウンが書くはずはない。とすると他にどう考えられるだろう? いやでも最後までページを繰らざるを得ない。

 ブラウンも佐野洋と同じく巻き込まれ型のプロットを得意とし、使い古されたパターンを一ひねりひねって提出するのがうまい。パトリシア・ハイスミスが案出してニコラス・ブレイクが追随したアイデアを扱った『交換殺人』を読めば、彼一流のアイデアのひねり方がわかると思う。

 とある人が「泊り客の枕元に佐野洋、あるいはフレドリック・ブラウン、あるいはその両方を置いていなければ女主人として完璧とはいえない」と言ったそうだ。けだし至言ではないか。