濁点と半濁点

ツイッターを見ていると、「やぱい」とか「ばくってる」とか「べガーナロスト」とか「白昼のスカイスクレエバア」とか、濁点と半濁点とを混同した表記がたまに目につく。スマホでの文字入力手続きが、濁点と半濁点とを混同させやすいようになっているのかもしれない(スマホはいじったことがないので想像にすぎないけれど)。いずれにせよ日本語がないがしろにされているようで、あまり気持ちがいいものではない。

そこで昨日に続いてまたまた中井英夫の話。中井に関してはまことに話の種はつきません。この御大に関する評論などでときたま「バリノード」という言葉が出てくる。これもまた半濁点と濁点の混同で、正しくは「パリノード(palinode)」。御大自身もどこかで同じ誤記をやっていたような記憶があるが、今ざっと探しても見つからなかった。記憶違いなのかもしれない。

なぜ同じ誤記が繰り返されるのか。そのもともとの原因はこういうことなのではないかと思う。中井作品を論ずるにあたって「パリノード」(前言取消)という表現をはじめて使ったのは、おそらく『人形たちの夜』の講談社文庫版に付せられた高橋康也氏の解説だと思う。氏はむろんそこで「パリノード」と正しく書いているのだが、いかんせんルビが小さすぎて、濁点と半濁点の見分けがほとんどつかない。



これがそもそもの不運のはじまりではなかったかと思う。