アヒルの影ありて

まごまごしているうちにブラックスワンのキャンペーンは終わってしまった模様。残念。

それにしてもアフラックといえばアヒルのはずなのになぜブラックスワンなのだろう。中井英夫が何かのエッセイで、

わが面にすこしアヒルの影ありて呑気すぎたる子を魅するらし

というアマチュア歌人の方の歌を紹介していたが(うろ覚えなので少し違っているかもしれない)、それと何か関係があるのだろうか。なんにせよこれを契機に中井英夫が少しでも多くの人に読まれるようになってくれれば嬉しいことであるのだが。

 
中井英夫といえば全集未収録の随筆評論集『ハネギウス一世の生活と意見』がひっそりと出た。ついこないだのことだと思ってたら、今本を出して確認すると去年の四月刊だ。月日の経つのはなんと速いことよ。

なんで今まで単行本に収められなかったのだろうと思わせるような随筆・評論ばかりで、中井ファンはもとより、いい文章が読みたいと思っているすべての文学愛好家にとって一読の価値があると思う。中井英夫のエッセイ集といえば一定数の熱心なファンは必ず買うはずだから、生前に出しておけば晩年の窮乏も少しはマシになったはずなのだけれど。狷介すぎるのも困ったものでありますね。

なかでも「三島由紀夫私記」とサブタイトルが付された「肉体の背信」というエッセイが出色のものだ。初出は『国文学』の昭和五十一年十二月号の特集「三島由紀夫の遺したもの」だが、この文章こそなんで四十年以上ものあいだ埋もれていたのだろう。狷介すぎるのも(以下同文)。

このエッセイには頭を打ってから三島の性格が変わったことが書かれている。「あるいはやはり大丈夫でなかったかもしれないからだ」という、巧まずに故人への哀惜の念がにじみ出るユーモラスなフレーズは、いっとき人を笑わせておいて、いやまてよと考え込ませる力を持っている。