後期源一問題

 
後期春夫問題よりさらに問題なものに後期源一問題がある。何かというと、初期の矢野目源一作品に心酔したファンが後期作品を読んで激しく頭を抱え、ときには再起不能に陥るという問題である。己の日夏門下への忠誠度が試練にかけられるといってもいい。

だが本人にも言い分はあるようだ。ある本にこんなことが書いてあった。
 

私事にわたることだが、最近ある出版社から大正、昭和にわたる詩人の詞華集が出た。その中に旧作が採録されている事だが、その本にはさんであった別版を読むと、私が昔の詩業とは似もやらず現在では艶笑文学に転落したと書いてある。これでみると詩を書いていれば高尚で、大字の先生方が注目しなかったフランスの風流文学の処女地を三十年もかかって開拓して来れば下品だということになる。こういう浅黄裏ははどこにでもいるのである。

 
まあ気持ちはわからないでもない。だがそのすぐ後にこんなことも書いてある。
 

 「チンポコめらと公卿を嘲弄し」
この川柳は人も知る「末摘花」 の中の句で道鏡法師を詠んだものである。
 「センズリをかいているところヘ勅使来る」
というのも同じ川柳であるが道鏡が超人的の一物の持主で孝謙女帝の寵遇をほしいままにしたという伝説に基く句なのである。
 
で、道鏡がどれほどの物の持主か今は知るよしもないが、長大であったには違いない。
 
外国でも道鏡みたようなのは居ないかとしらべてみたらロシヤ帝政時代の怪僧ラスプーチンなどはその方では大したなく、やっと発見できたのはフランスのツールーズの町に十九世紀のはじめに生きていたというサミュエル・レヴイは五十二糎であったという。

 
「フランスの風流文学の処女地を三十年もかかって開拓」した結果が「サミュエル・レヴイは五十二センチ」なのであろうか。そんなものをそもそも開拓する意味があるのだろうか。

しかしこういうのをフンと笑い飛ばして顧みない輩には憤りを禁じえない。こうした矢野目源一の文学的営為は、あえて言えば小西茂也の名訳『艶婦伝』の系譜につながるフランスのゴーロワ気質の日本的移植で、繊細隠微なサロン文学の対極にあるものとして……うわあ、なんか自分で書いててウソ臭くてたまらない。「五十二センチ」の前にはすべてがぶっとぶ。後期源一問題とはかくのごとき根深き問題なのであります。

おおそうそう、「アントロジカ」2号に矢野目源一の翻訳について短文を寄稿しました。興味のあるかたは読んでいただけると嬉しいです。古書肆マルドロールなどで注文できます。