猫の力

 
猫のチカラ - 佐竹 茉莉子さんの『道ばた猫日記』にこんな話が紹介されている。あるところに86歳のおばあさんがいた。認知症が進行して周囲に無反応になり、「首をうなだれて座っているだけの日々」を送っていた。そこにおばあさんの娘が、生まれたての捨て猫を拾ってきた。子猫とともに暮らすようになったおばあさんの「認知症はあれよあれよという間に改善されていった」という。どうやら「かわいいもの」には人を救済する根源的な力が備わっているらしい。つまり柳田國男の「妹の力」、澁澤龍彦の「姉の力」と同等なものとして「猫の力」というのがあるようなのだ。

だがこのネーミングはあまりうまいとはいえない。このアンソロジーにあるように、このような力を有するものは猫とは限らないからだ。犬の場合もあれば狐の場合もある。もちろん人間の場合もある。

ようするに「かわいいものの力」なのだが、この「かわいい」という表現にしてもなんだか言い尽くしていない。それかあらぬか、このアンソロジーのタイトルも『ファイン/キュート 素敵かわいい作品選』という複合的なものになっている。それほど定義するのがたぶん難しいのだと思う。「はい、これですよ」と提示するには結局アンソロジーを一冊編まねばならないのかもしれない。ちょうどアンドレ・ブルトンがアンソロジーを一冊編んで「黒いユーモア」という概念を提示したように。

なんとなく"cute"の「キュ」という音にこの力の本質があらわされている気がする。編者まえがきに「きゅっと胸を掴まれるようなかわいい言葉」とあるように、この「キュ」という響きにはただならぬものがある。谷川俊太郎による『うさと私』推薦文中の「キューキョクの愛の表現」というフレーズも、おそらくこの「キュ」音の魔術的な響きを踏まえたものなのだろう。

まあそれはともかく、皆さんもこのアンソロジーを読んで、認知症のおばあさんを救ったような力を授かりますように。ちなみに私的ベスト3は、「うさと私」を別格とすると、新美南吉「手袋を買いに」・町田康「私の秋、ポチの秋」・ミランダ・ジュライ/岸本佐知子訳「水泳チーム」