トポールと曾根元吉

 最近あるところでロラン・トポールの話題が出た。そのとき思い出した昔のエピソードを忘れないうちに書いておこうと思う。二十世紀最後の年の暮れも押し迫った頃の話だ。とある洋古書店に曾根元吉氏の旧蔵書が大量に出た。ピエール・ルイスやボリス・ヴィアンの珍しい本に交ざって、すごい冊数のトポールがあった。「トポールってこんなに本を書いていたのか!」と驚くほどの量だったが、値段は一冊300円とか500円とか、そんな感じの捨て値だったと思う。

 そのときは作品もろくに読んでおらず、トポールについては「何か知らないけれど女装する男とかマゾヒストとかの気持ち悪い話を書く変なオッサン」くらいの漠としたイメージしか持っていなかった。だからそこにあった大量のトポールからわずか数冊を買うにとどめ、あとの大部分はスルーした。

 その後十年近くたってから、曾根氏の次のような文章に出くわした。
 

 
 「その作家の新著が出たと知ると、なんとなく気にかかる、わたしにとってロラン・トポールはそんな種類の書き手のひとりだ。」と書き出されるこのチャーミングな小文で、氏はトポールをこんなふうに評している。「トポールの見せる嬰児惨殺劇は、姥捨山の裏返しの状況だが、基底には生よりも死を希求すべきものとするギリシア的な観想がある。[……]現代の危惧と不安の中に生存するよりも生命を放棄するほうが幸福だろうという発想がユーモリストとしてよりもモラリストとしてのトポールを強く印象させるが、その面貌は《作り阿呆》であることを忘れてはならない」

 こうした文章に接すると「ガーン! トポールって単なる変態じゃなかったのか! ああ、あのとき一切合切買っておけばよかった!」という気持ちが勃然と湧いてきて切歯扼腕するのは人情というものであろう。慌ててくだんの洋古書店に駆け込んだが当然の如く一冊も残っていなかった。

 下の画像は運よく見つけたときに買った一冊。氏の文章にも紹介されている小説『エリカ』である。文中にもあるとおり一ページに一語しか印刷されていない。