片付かない気持ち

 
 ミステリ愛好家の端くれとしてはちょっと恥ずかしいことかもしれないのだが、綾辻行人氏の作品のなかで一番好きなのはこの『深泥丘奇談』だ。少し前に『百鬼園百物語』のことを書いたときにそれを思い出したので、心覚えに少し駄文を。

 この連作小品集がとりわけありがたく感じられるのは、他でもない、百鬼園先生の水脈を正しく引いているように思えるからだ。描写はあくまでも明晰でありながら、遠く近くドロドロと迫る気配の精妙な把握――往々にして忘却の彼方にある過去――あるいは妙に噛み合わない登場人物たちの会話――

 何よりもこの連作のいたるところに横溢しているあの「片付かない気持ち」――これは百鬼園先生先生が折りに触れて使うタームなのだが、これを綾辻氏の場合、こんな感じに表現している。
 

 いかんせん長年の間、いわゆる本格推理小説の創作を主な生業としてきた私である。このような、云わばある種の不可能状況を幽霊のせいにしてしまうなど、決してあってはならないことなのである。(『深泥丘奇談・続』p.18)

 
 日常と超自然のどちらにも完全に振れることのできないこうした精神が、「片付かない気持ち」のあわいをつくりだす。こうして見るとミステリと百間世界というのも案外類縁のものなのかもしれない。