あなたは読者で犯人


 一人称で書かれたミステリで、犯人は「わたし」だったというものがある。クリスティの某作みたいな「記述者が犯人」とは違う。どこが違うかといえば、「わたし」自身も、自分が犯人であることを、探偵に指摘されるまでは気づかない点だ。「わたし」が探偵役を兼ねることもある。もっとも早い作例は乱歩の短篇だろうか(ただし、この作品は厳密には一人称ではない)。ポーのある作品もそれに近いといえないこともないけれど、意外な犯人を狙ったものではないので、ちょっと違う気がする。
 
 それから、二人称「あなた」で書かれたミステリというものがある。有名なのは都筑道夫『やぶにらみの時計』だが、法月綸太郎にもあったと思う(うろ覚え)。この技法は二十世紀文学(ビュトールとか倉橋由美子とか)から輸入されたもので、読者の感情移入をより密にする効果を持つ。だから『やぶにらみ・・・』のようなサスペンスとは相性がいい。

 そこで、その二人称ミステリに、最初に述べた「一人称犯人」のトリックを応用して、最後に「あなた」が犯人ということにすればどうだろう。これは「読者が犯人」の一ヴァリエーションということにならないだろうか。だが実際にはそんなミステリは読んだことがない。たぶんあまりばかばかしくて、読んでも面白くないからだろう。(いやもしかしたら、あるのかもしれないが……)
 
 そこでもう一ひねりして、一種の叙述トリックを使い、人称が二人称であることを最後まで伏せておけばどうだろう。つまり他の人称だと誤認させておいて、ラストでこれは二人称の小説であることを明かす。ついでに「あなた」が犯人であることも明かす。人称を誤認させる叙述トリックというのは今までに何作も書かれているから、技術的には不可能ではなかろう。これは「読者が犯人」の新しい作例にならないだろうか。
 
 こんな埒もないことをいろいろ考えたというのも、ひとえに本書『かくも水深き不在』のラストに大衝撃を受けたからだ。似た発想は井上夢人のある作品にもあるけれど、ここまで斜め上はいっていない。

 そこでこのラストをトリック分類にあてはめればどうなるだろうといろいろ考えてみたというわけ。だが心配はご無用、上の駄文はまったくネタバレにはなっていない。下手な考え休むに似たりとはよく言ったものだ。真の傑作は小賢しい詮索などスルリとすりぬけ、二十面相のごとく、「ふあっはっはっはっ」と笑いながらアドバルーンで消えてゆく。

 ともあれ、ここ数年の収穫であることは間違いない。