終末状況


読んだ。そしていつものことながら完膚なきまでに打ちのめされた! 途中まで、冒頭で葬式が行われた人物が実は生きていてそいつが首謀者!とか考えていた。しかしそもそもクラニー作品においては犯人当ては主眼ではないのであった。

今回はある有名な海外作品が下敷きに使われていて、その作品に挑戦したような感じになっている。それにしてもここにおける「ミステリ」の解体ぶりはただごとではない。

ところで藤原編集室によるエリザベス・シューエル『ノンセンスの領域』(白水社 10月刊)の内容紹介ページにはこんなことが書いてある。

ノンセンスはけっしてでたらめで無秩序な世界ではない。ルイス・キャロル 『不思議の国のアリス』 やエドワード・リアの戯詩は、日常とかけ離れてはいるものの、むしろ遥かに厳密な固有の論理をもっている。そこでは言葉遊びのルールがすべてを決定し、その厳格な支配の下、人間もなにもかもが単なる 〈もの〉、一個の記号と化す。行きつく先は 〈人間〉 と 〈世界〉 が決定的に分断された終末状況である。

おお、まるでこの作品を語っている言葉のようではないか! まさに行きついた果ては〈ミステリ〉 と 〈謎解き〉 が決定的に分断された終末状況なのであった。