南柯の夢ふたたび

むかしむかし、「TVは世界人民の敵だ!」という貼紙を貼った古書店が早稲田にあったころ、『幻想卵』という同人誌があった。いや、あったらしい。現物は一度も目にしたことはなく、ただ古老の噂話に聞くのみ。倉阪鬼一郎さんがここに発表した作品のいくつかは、のちに『地底の鰐、天上の蛇』『百物語異聞』などにおさめられた。南條さんがここに発表した掌篇のいくつかは、のちに『満漢全席』という本におさめられた。「餃子地獄」「画中餅」などの飄々としてつかみどころのないこれらの掌篇は、氏の作品のなかで、拙豚がもっとも愛惜するものの一つである。まことに『幻想卵』こそは、後の幻想文学シーンの一翼を担う才能が揺籃していた、かの日夏耿之介が主催していた「奢灞都」にも比すべき稀有の雑誌といえるのではないだろうか……

……と勝手に想像しているのだけれども、いかんせん現物を見ていないので想像はあくまで想像の域を出ない。中心人物であった倉阪鬼一郎さんが、結婚を期に、在庫をすべて廃棄してしまったということなので、もう現物は何部も残ってはいまい。

ところがここに、なんの前触れもなく、青天の霹靂のごとく、『幻想卵』所収の詩をいくつかおさめた、『卵屋のじっちゃの幽霊屋敷』なる詩集が上梓された。著者は『幻想文学』誌のレビューなどで活躍していた藪下明博氏。おお、これぞ現代の奇跡でなくてなんぞや。奇特というも愚かなアトリエOCTAの英断に、満腔の敬意を表したい。

この本によれば、かつて『幻想卵』を売っていた卵屋のじっちゃの家はすでに焼けぼッくいになり、炭化した柱と桁と大屋根だけが残っているらしい。エドワード・リアが思い切って箍(たが)を外したような、摩訶不思議なナンセンス世界がこの詩集にはある。リアファンはすべからく読むべし。

リアの端正な押韻は、すでにここにはない。そのかわり、駄洒落に近い言葉遊びが、不意打ちのように読者を直撃する。リアの詩にみられる極端に意味を喪失させた、あらゆる情緒を拒絶するスタンスは、ここで一段とパワーアップされている。

それにしても倉阪氏や南條氏の作品世界と一脈通ずるものをどうしても感じてしまう。やはり『幻想卵』スクールともいうべきものはあったではなかろうか。