読まずに書評

Borges

Borges

Amazon
 
ボ氏推理小説書評集の増強計画はあんのじょう、病膏肓状態に突入し、ついに買ったまま一ページも読んでいなかったビオイ=カサーレスの日記(上の画像の本)にまで手を出すにいたった。

これを買ったのは五年前で、そのときちょっとこの日記で紹介してある。これは延々1663ページにわたって淡々と日常の記録が続くという、よくいえば『伊澤蘭軒』みたいな、悪くいえばウェブ日記のような本だ。

買ったときは「こんな本いったい誰が読むんだろう」と他人事のように思ったけれど、まさか自分が読む羽目になるとは……。積読というのは一つの呪いだ。買いさえしなければ読むこともなかったろうに……。

しかし発表を意図していなかった日記だけあって、ときどき面白いことも書いてある。たとえば1953年4月6日の日記には、ボルヘスとビオイ=カサーレスが共同で監修していたミステリ叢書『第七圏』で出た"Brat Farrar "(邦訳題名『魔性の馬』)にまつわるエピソードがある。
 

食事のあと、ボルヘスといっしょにジョセフィン・テイの"Brat Farrar "のカバー裏紹介文を書く。この本は二人とも読んでなくて、全然内容を知らなかった。原書のカバーも手に入らなかったので、架空の書評家とその批評を捏造することにした。
 
ビオイ「僕たちの行いを天が裁くなんてキリスト教的な教えは信じられないよ」
 
ボルヘス「うん、むしろカルマ(業)の教えのほうがもっとらしい。その考え方によれば、僕たちの行いはつもりつもって遠い将来の運命を決定するというのだ。それは僕らの実感に基づく教えだし、僕らの生はかりそめのものではないという考えにも基づいている。でもあちらの世界に裁判官がいて、その人があの世で僕らのちっぽけな行いに構うなんてとうてい信じられない」

 
いいのかそれで! 天の裁きがなければ何をやってもいいというのだろうか。

たしかに架空の書評というのはボルヘスの十八番だけれども……。でも考えてみればなかなかいいアイデアではある。仮に紹介文が全然的外れであっても、その「架空の書評家」のせいにしてしまえるから。

ちなみにここで捏造された架空の書評家の名はファレル・デュ・ボスクという。このボスク氏は『第七圏』叢書でもう一冊、クリフォード・ウィッティングの"Midsummer Murder"の紹介文も書いている。