人みな戒律を負う

古くはヴァン・ダインやノックスの時代から、新しくは阪本英明にいたるまで、何人ものミステリ作家が戒律を定めてきた。批評家ならいざしらず、なぜ実作者が、このような自分で自分を縛るようなことをするのだろう。ミステリ作家というのは一種の変態性を有しているのだろうか。この一見不可解な態度を、ボルヘスはリチャード・ハル『善意の殺人』の書評のなかで次のように説明している。「……なぜなら推理小説というジャンルは、他のすべてのジャンルと同じく、規則に対するたえまない、そして精妙な侵犯により生命を与えられているのだから」

今度の新版書評集に入れようと思って「探偵小説の迷宮とチェスタトン」というエッセイを読んでいたら、ボルヘスも自らの戒律を案出していた。ただしボルヘスは自らの掟を「戒律」とは呼ばず、「コード」と読んでいる。奇しくも島田荘司と同じ形容だ。彼のコードは六条からなっていて、次のようなものだ。

  1. 登場人物は六人以内
  2. 謎の要素は余すところなく記述すべし
  3. 犯行手段はなるべく簡潔たるべし
  4. 「誰」より「いかに」を優先すること
  5. 殺し方が大仰なのはいけない
  6. 必然的でありながらも驚くべき解決