深夜の弁明


ROMを主催するDozing Dog氏からメールが舞い込んできた。その内容を要約すれば、「10月末日を忘れるな!」とのこと。10月末日といえば次号ROMの原稿締め切り日。察するに、よほど原稿の集まりが悪いものと見える。
でも拙豚だって、けして怠けているわけではありませんよ? 事実、昨日で終わった連休中にも、『探偵ダゴベルトの功績と冒険』全6冊を3分の2くらい読んだ。ただ惜しむらくは一字も原稿が書けていないだけの話だ。文章を書くよりは文章を読むほうがずっと楽だというのは万古不易の真理である。

だが、このダゴベルトものはむちゃくちゃ面白い! 
といっても、ホームズなんかと違ってトリックに見るべきものはない。と言うか、トリック自体がほとんどない。それどころか、殺人さえ起こらない。探偵ダゴベルトの捜査する事件はせいぜい窃盗、あるいは詐欺、あるいは貴族のスキャンダルの揉み消しなどなど、あんまり事件としてはパッとしないものばかりである。しかしそれだからこそ、都筑道夫の言うところの、トリックに依存しない「モダン・ディテクィブ・ストーリー」を見事に先取りしているのだ。

ダゴベルトものの主要登場人物は三人。素人探偵ダゴベルト、それからダゴベルトの親友で産業界の大立者であるグルムバッハ、そしてグルムバッハの奥方ヴィオレットである。物語はたいていダゴベルトがグルムバッハとヴィオレットに自らの体験を語るという形で進む。この3人の掛け合いも惚れ惚れするほどで、ウィーン軽演劇の伝統はここまで及んでいるのか!と驚嘆するほどのものだ。たとえばある短篇では純真な青年貴族を女詐欺師がたぶらかすのだが、一見うら若い少女に見えた女詐欺師が実は35歳であることが判明する。えっ35歳!とのけぞる青年貴族。それを見たヴィオレットは急に不機嫌になり、「35歳であること自体は犯罪でもなんでもありませんことよ!」とふくれる。こういったノリが実に楽しい。

それからミステリ的な技巧にも「おおっ!」と膝を叩くものがあって、たとえば別のある短篇では、やはりダゴベルトがグルムバッハとその奥方ヴィオレットに自らが解決した事件を語るのだが、その事件の現場にはたまたまグルムバッハも居合わせていた。だが、その現場では、あるやむをえない事情があって、ダゴベルトは真相を口にすることができず、偽の真相を披露する。居合わせたグルムバッハはその偽の解決をずっと信じていた。
ダゴベルト、グルムバッハ、ヴィオレットの三人だけの席でダゴベルトははじめて真実を話すのだが、物語はのっけから、ダゴベルトが真実を語る場面からはじまる。偽の解決を信じていたグルムバッハは驚いて、自らその「偽の解決」を語る。つまりこの短篇では、「真の解決」と「偽の解決」が同時並行的に語られるという、ある意味超絶技巧が発揮されているのである。まず偽の解決が語られ、それからどんでん返し的に真の解決が語られるというのはエラリー・クイーンの諸作をはじめ枚挙にいとまないほどあるけれども、これを同時並行でやらかすというのは、少なくとも拙豚はこの短篇ではじめて読んだ。こういうのを楽しんで読めるということは、おそらく当時のウィーンの探偵小説愛好家たちは、よほどのすれっからしであったに違いない。