百見は一聞に如かず


昨日の日記を書いていて思い出したことがある。先月の14日、超短編の会に出席するため西荻のbecocafeに行ったのだった。

当日限定の冊子が配布されると聞いたためだが、しかし冊子以上の収穫がこの夕べにはあった。朗読を聞いて、超短編なるものの読み方がなんとなく分かったからだ。

俳句には俳句の、短歌には短歌の、ショートショートにはショートショートのリズムがある。しからば超短編のリズムとは? これが素人には難しい、 

だが朗読を聞けば、どういうリズムで味わえばいいのか一発で分かる。

超短編とは五百字の短篇である。黙読すれば一瞬である。しかしタカスギシンタロさんが朗読するのを聞いていると思ったより時間をかけてゆっくり読んでいる。なるほどこういうリズムで読むのか。そしてこういうリズムで読んでこそ一番効果があるのか。

考えてみれば「てのひら怪談」が八百字であるのは故のないことではない。この五百字とか八百字とかは「語り」と「読み」のちょうど中間形態である。語るにしてはやや長め、読むにしては短めという、いわば羽化しかかった蝉みたいな感じのものだ。語りから脱皮しかかる文芸。この形式なら時代を遡ることも難しくないし、新たな試みを盛ることも難しくないのだろう。