川をゆられてゆく虫のように

お言葉でございます

お言葉でございます


少年ルイ・ランベールは朝からパンと書物をたずさえ森の奥へ行っては、母親の叱言のとどかないところで読書と瞑想にふける習慣があった。とりわけ辞書を読むことには不思議なほどの喜びを感じたという。そんな彼の語るところによれば:

 僕はちょうど草の茎にのって川をゆられてゆく虫の様に、一つの言葉にのって過去の深い境によく楽しい旅をしたものだった。ギリシャから出発してロオマに着き、それから近代のいろいろな時代の世界を通った。一語の生涯やその波瀾を語りさえすればそれだけで立派な本ができるんだ。言葉は自分の遭遇した事件からいろいろの印象を受けたり、地方によってさまざまに異なる概念を生んだりするものだが、魂と肉体と行為との三重の方面から見てみると言葉はもっと価値あるものになる。(中略)文字の集合したものとか、その形とか、その語としての姿などが、それぞれの民族の性質にしたがって、われわれに追憶として残っている見知らぬものを正確に描き出している。(中略)人間のどの言葉にも含まれている多くの神秘的なものは、あの古代精神に因るものではないだろうか。(豊島與志雄・蛯原徳夫訳)


年端もいかぬガキの言うことに感心するのは癪だが、これはまさに至言であって、たとえば外国語の単語を覚えるときも、千語くらいなら丸暗記、あるいはダジャレや語呂合わせでもなんとかなる。しかし五千語を超えるくらいになると、語源にも気を配りつつ、「魂と肉体と行為との三重の方面から見」て、その神秘に心打たれでもしないかぎり、とてもじゃないけれどやっていけない。

本書『お言葉でございます』は、まさしく、「一つの言葉にのって過去の深い境によく楽しい旅をした」、その航海日誌といえよう。あるいは、「一語の生涯やその波瀾を語りさえすればそれだけで立派な本ができる」ことを実証した本とも。

ちなみに著者は妖怪の論文を書いたことで大学の推薦入試に通ったり、物の怪の論文で就職口が見つかったりと、「人生の節目節目で、妖怪変化に助けられている」という方。松山俊太郎・種村季弘の二巨頭に薫陶を受けたそうだ。羨望にたえない。