メタモルフォーズの秘技

音迷宮

音迷宮


一読して驚いた。もしかしたら前代未聞の書かもしれない。
たとえばジャズにはスタンダードナンバーというものがある。「枯葉」とか「マイ・ファニー・バレンタイン」とか。「またこの曲かよ〜もう飽きたよ〜」と思わせる演奏も、もちろんないではない。しかし名ミュージシャンの手にかかると、それらスタンダードナンバーは新しいものにかわってしまう。原曲の姿はすでにとどめられず、ときたま思い出したように発せられるフレーズから、そういえばこの曲はあの曲だったんだとかろうじて気づくばかりになる。「恋はみずいろ」が「空が堕ちる」になってしまうのだ(これはジャズじゃないけど)。

この短篇集もまた同じ、天才肌の演奏家が(ちょっと見には)気まぐれのように鳴らした、スタンダードナンバーの超絶変奏の記録に他ならない。だから音楽を聴くように読むのが最良の鑑賞法だろう。おおこのスイング感! このアドリブ! メタモルフォーズの秘技! だまされたと思って一本を購いたまえ、話はそれからだ(笑)。

では各篇の原型である「スタンダードナンバー」は何なんだろうといぶかる詮索好きの読者のために、作者は視界の隅にさりげなくプレゼントを置いてくれている。無粋なあとがきを無用にする心憎いばかりのエレガンスではないか。