失われたアルゴノオト

 
 原著を出したIbis Pressはこーんな本をメインで出版しているところである。そのことだけをもってあれこれ言うつもりはないが、もう少し、何というか、普通の版元を選べなかったのか。本書の翻訳に際して訳者の方々は原著者にあれこれの疑問点を問い合わせたそうだが、もし原著がたとえばどこかの大学のユニヴァーシティ・プレスから出ていたらそうした疑問は未然に避けられたのではないか。ともあれ邦訳が○河出版社とか○ま出版とかから出なくて本当によかった。

 ウォーバーグ研究所地下室にひっそりと眠る二箇の黴だらけなトランク。本書は、驚くべき文書で充満していたその中身を駆使して書かれたイェイツ初の伝記である。

 もっとも著者がイェイツをどれだけ読み込んでいるのか、あるいは、タイトルに麗々しく謳ってある「ヘルメス的伝統」にどれだけ知見があるのかは疑問だ。
 

それ(『記憶術』)は、訓練された記憶力が印刷術発明以前にいかに重要だったかを解明した本である。

 
などという文章を見ると、大変失礼ながら、いったい『記憶術』のどこをどう読めばこんな大ボケがかませるのかと呆れざるをえない。そもそも、ルルスはともかくとしても、ブルーノやカミッロ、ロバート・フラッドの時代に印刷術が発明されていなかったとでも?

 しかしこのことは、かならずしも傷ではない。本書で読むべきところは、ドロシー・セイヤーズ(イェイツは『学寮祭の夜』を読んだそうだ)らとともに、イギリス女性解放第一世代(イェイツが成人した年、初めて女性に参政権が与えられたそうだ)といえる一人の幻視者の歩みであろう。

 幻視の人はたいていそうだが、彼女の人生も驚くほど一貫している。少女時代に愛好したシェイクスピアは、その劇の登場人物のモデルと目されるジョン・フローリオの研究へと彼女を導き、次いでロンドンをフローリオとつるんで歩いたジョルダノ・ブルーノへと……そして大きな円環を描いて晩年にはふたたびシェイクスピアに戻っていくのである。

 芳しからぬゴシップも含めて、いろいろと教えられることの多かった本だが、一番嬉しかった発見はイェイツが優れた日記作家でもあったことが分かったことだった。

 本書冒頭に掲げられている最晩年の日記断片も、老年の心細さが身に迫るいい文章だが、ここでは日記のそもそものはじまり、17歳のときの文章を引用したい。

 それはある春の日のこと、彼女は受験準備のためフランシス・ベイコンの随想集を勉強しようとしていた。ところが魔がさして代わりにA.C.ベンソンの小説『静寂の家』を開いてしまう。この小説は主人公が昔の日記を読む場面から始まるらしい。
 

……ここで私は読みさし、ベイコンを猛勉強しようと果敢に机に向かった。と、一段落も読まないうちに、ある考えが浮かんだ。なぜ私が日記をつけてはいけないのだろう? 年取って、一冊の日記を手に取り、少女だったはるかな日々に自分が何をしていたか、自分がどんな人間だったかを読むことができたら、なんと愉快だろう。物語の男がそうだったように、本を書くことが私の野心だ。男の人生の物語がそうなったように、私の人生の物語も、いずれおそらく一冊の本になるはずである。だから、日記を書き始める理由は二つある。すなわち、年老いたときに日記から汲み出す興味と、いつか日記が本になるという希望である。ひどく尊大で、気取った感じなので、言い訳として、希望はとてもはかないものだと述べておこう。自分の性格について少し論評するつもりだったが、気取り抜きに自讃はありえず、愛着抜きに譴責はありえないことがわかったので、性格は書きものに自ずと現れるはずということでよしとしたい。……

 
 いかにも17歳らしい背伸びのなかに巧まざるユーモアがにじみでたよい文章だ。日記に向かって語りかけるという日記作家ならではの特質がすでに板についている文体は、井亀あおいの『アルゴノオト』を思わせないだろうか。井亀さんももしそのまま成長していたらイェイツのようになったのだろうか。

 残念なことに、1917年から1925年(イェイツ18歳から26歳)にかけての日記はトランクの中に入っていなかった。失われたアルゴノオト。

 しかし今発見されているだけでもいいから、イェイツ日記の全文を公開してもらいたいものだ。たぶんあのエリアーデの4巻本日記にも匹敵する重みをもったものになるだろう。