火曜日ラビは偽書を出した

The Golem and the Wondrous Deeds of the Maharal of Prague

The Golem and the Wondrous Deeds of the Maharal of Prague


20世紀のはじめ、コナン・ドイルなどを耽読する小説好きのラビがワルシャワに住んでいた。読むだけではあきたらなくなったのか、1909年、一冊の本を変名で刊行した。
プラハのマハラルの偉業とゴーレム』と題されたその本は、ユダヤ人たちの間でたちまちベストセラーとなったばかりか、ゴーレム/ラビ・レーウ伝説の形成にも大きく寄与することになる。ちなみにグスタフ・マイリンクの『ゴーレム』が世に出たのはその6年後だ。
ユドル・ローゼンベルクという名のそのラビが前書きで主張するところによれば、メッツの大図書館に300年間眠っていたマハラル(=ラビ・レーウ)の娘婿の手稿を現代文に直したのがこの本だという。だが今にいたるまで、手稿原本はおろか、「メッツの大図書館」なるものさえ、あたかもボヘミアの海のごとく、その存在は未確認のままである。

それから100年ほどたってようやく、ショロム・アレイヘムやアイザック・シンガーの作品を手がけたベテランのイディッシュ語翻訳家カート・レヴィアントのおかげで、この謎に満ちた手稿は英語でも読めるようになった。その内容は驚くべきもので、なんとこの娘婿はラビ・レーウがゴーレムを作るのを自ら手伝ったというのだ。(なんか『フランケンシュタインの日記 (学研ホラーノベルズ―MOVIE MONSTERセレクション)』みたいになってきた)

しかもゴーレム創造には単に雑用を手伝わせる以上の切実な目的があった。過ぎ越しの祭りのあいだ、ユダヤ人たちは『出エジプト記』の故事に倣って戸口に山羊の血を塗る。ところがどこをどう曲解されたか、ユダヤ人たちはその祭りで子供をかどわかして殺し、血をパンに混ぜるという噂が、ユダヤ人嫌いの間にまことしやかに流れていた。いわゆるBlood Libel(血の中傷)である。なかでも激越にユダヤ排斥を唱えるのがカトリックの司祭タデウスであった。

それだけならまだいいが、(本当はもちろんよくないが)、タデウスの差し金なのか、濡れ衣を着せるため宵闇にまぎれて子供の死体をユダヤ人の家に投げ込む輩さえ当時のプラハにはいたという。実にゴーレムとは、そうした不埒な連中を現行犯で逮捕するための人工夜警として作られたものだった。
ここらへんの伝奇的な話の運びは、さすがにこの人はドイルをよく読んでるなあと思わせるものがあるが、訳者の解説によると、いまだにこの話は本当にラビ・レーウの娘婿が書いたと信じている人もいるらしい。