冬仕度

わがエディション・プヒプヒもそろそろ冬の祭典の支度をせねばならない季節となった。幸いにも今週末から大型連休がはじまるので、この期間に助走だけでも済ましておきたいものだと思う。それにはまずは翻訳対象を選ばねばならないが、これにはいくつか縛りがある。

1. 原稿用紙換算で二百枚内外の作品であること
これはスケジュールの問題と、あまり長いと途中で飽きるため。

2. 本邦未紹介の作品であり、これからも紹介される可能性がゼロに近いこと

3. 著作権が切れていること
実は十年留保というのがあって、一定の条件を満たせば1970年以前に出版された作品は大丈夫ということだ。しかしやはり、誰からも文句を言われない、権利が完全に切れた作品で勝負をしたいではないか(何の勝負?)。ということは欧米の著作権は死後七十年で切れるので、1939年より前に亡くなった作家ということになる。

一見かなり厳しい縛りに見えるが、そんなことはない。マルセル・シュオブなど世紀末作家には悠々パスする人が多いし、この前出したヴィリ・ザイデルも1934年死去だ。その他ある程度有名なところをあげるだけでも、オスカル・パニッツァ、パウル・シェーアバルト、グスタフ・マイリンク、ゲオルグ・ハイム、ザッヘル-マゾッホと枚挙にいとまがない。怪奇幻想の世界では見所のある人は多く天寿を全うしない、というわけでもないだろうが。

4.今読んでも面白いこと
言うまでもなくこれが一番の肝だが、同時に一番厳しい縛りでもある。過去に埋もれた作品には、たいていの場合埋もれるだけの理由がある。文章が古臭いとかストーリーの展開がのろすぎるとか……。

しかし、「こういうのを狙えば今読んでも面白い作品にあたる可能性は高い」というような探し方は、ないこともない。
他でもない、「怪作は腐らない」という法則である。自作を焼却してくれと遺言したカフカの例は極端にしても、作者自ら穴を掘って埋めてしまいたいくらい恥ずかしい大怪作は、その異形さゆえに、時の経過によってパワーを失うことが少ない。そこまでいかなくとも、自伝などで「これは若気のいたりで……」と作者が頭を掻いているような作品は要注意である。おそるべき怪作の可能性が高いからだ。

これらの条件を満足する作品を発見すべく、先週末は、「忘郤のふみの奇古なるを」繁に披いていたのだけれど、「これはいけるかも」というのが一冊あった。1902年に発表されたハシッシュ飲みたちの物語である。いい塩梅に(?)作者は1931年に死んでいる。これは六話からなる連作短篇だが、第三話で凄い光景が現れる。さすがハシッシュを嗜む人は違うな〜と思いつつ読み続けると、第四話までその面白さは持続するのだが、次の五話で首をひねることになった。

そこでは見神体験みたいなのが描写されている。しかし信仰なきものの悲しさ、「私は神を見た!」とか書いてあっても、字面として理解できるだけで身に迫ってこない。さらに最終話が輪をかけて謎である。さてどうしよう?