栄地四囲

 ジャネット・フラナー(1892-1978)は生涯のほとんどをパリですごしたアメリカ人の作家。『ニューヨーカー』誌のパリ在住特派員として、1925年から1939年にかけて文壇・画壇・劇壇その他もろもろのあれこれを原稿用紙2枚くらいのルポルタージュとして書き綴った。本書はそれをまとめたもので、「シェイクスピア・アンド・カンパニー」書店に入り浸っていたという彼女のおしゃまでスノッブな筆致が楽しい読み物だ。いっぽう『十字街―久生十蘭コレクション (朝日文芸文庫)』の題材となったスタヴィスキー事件が生々しく書かれていたりもする。

 しかし残念ながら、原書の全訳というわけではなさそうだ。1927年に「不思議なミッキー・フィン (KAWADE MYSTERY)」の作者が、ユージン・ジョウラスとともに創刊した文芸雑誌「トランジション」の話は、訳書から割愛されている。フラナーの紹介によると、そこには「進行中の作品の最初の何ページか」と称する珍妙な小説が掲載されていて、こんな文章ではじまっているそうだ。"riverrun brings us back to Howth Castle & Environs. Sir Tristram, violer d'amores, fr' over the short sea, had passencore rearrived from North Armonica on the side the scraggy isthmus of Europe Minor to wielderfight his penisolate war."

 いやはや、いつの時代にもわざと変なことをして目立ちたがる人はいるもんですね*1! 

 いきなりこんな本を持ち出したのは他でもない。マルセル・シュオブが二箇所で登場するためだ。訳書でいうと64ページと191ページ。もちろんこの頃にはもうシュオブは生きてないから故人として言及されている。64ページのほうをちょっと引用すると、「詩人カチュール・マンデスはリヤーヌに捧げる詩をどっさり書き、マルセル・シュウォブやジャン・ロランはリヤーヌを主人公にした小説を書いた」。

 ここでリヤーヌというのは、ルネ・ヴィヴィアンの恋人だったという噂もあるリアーヌ・ド・プジー。訳書には「フランスの女流作家リヤーヌ」と書いてあるがたぶん何かのまちがい。それにしてもシュオブにリアーヌ・ド・プジーが主人公の小説なんかあったかな。ちなみに原文は"She was a heroine for Marcel Schwob and Jean Lorrain"。
 

*1:これはわたしの感慨。ジャネット・フラナーはそんな失礼なことは書いてない。