フロイト的に見たレム

 
レムと言えば女嫌い、女嫌いと言えばレムというくらいにその女嫌いぶりは有名で、彼の作品中に女性はめったに出てこない。たまに出てきてもどこぞの海が作った合成物だったりする。去年翻訳が出た長篇『大失敗』の終わり近くで、主要登場人物の一人が、前後の脈絡なくほとんど唐突に「女のくせに宇宙なんかに行くなあぁぁぁ(大意)」と熱く語る一ページがあって、軟弱な英訳者(マイクル・カンデル)は後難をおそれてその一ページを丸ごとざっくりカットしたという。

『大失敗』の翌年になされたインタビューでもその女嫌いぶりはいかんなく発揮されていて、たとえばカール・セーガンの『コンタクト』をくさすのに、「どこもかしこもやたらに女だ、みんなに生理がある」とかわけのわからんちんなことを言っている。しかし、『コンタクト』を読んだ人なら分かるように、たしかに主人公と大統領は女性だけれど、あとは特に女が多く出てくるというわけでもないと思う。いやそれとも、十九人日記とか見てるうちにこちらの感覚が麻痺してしまったのか。まあともかく、もしレムが「ベイビー・プリンセス」とか「シスター・プリンセス」とかを見たら泡を吹いてひきつけを起こすのはまず確実と思われる。

それからこのインタビューは一九八七年になされたものだが、当時はエイズがすごいインパクトをもって受け止められていて、レムも「人類はエイズで滅びるかもしれない」と本気で信じている節がある。つまり、誰が誰とでもセックスできるという繁殖形態を持つ人類は、その繁殖形態自体に狙いを定めるエイズウイルスに対しては無力で、太古の恐竜のように進化の袋小路に入ってしまったというのだ。

数万の単位で集団社会生活を営む昆虫は、アリにせよ、ハチにせよ、シロアリにせよ、一人の女王が集団全員の子を生むというかたちで種の存続をはかっている。こういう社会ではエイズの伝播は起こりにくいとレムは言う。そして、人間以外で数万規模の社会生活を営む動物が、(アリとハチのように進化系統は異なっているにもかかわらず、)必ずこのような繁殖形態を持つのは必然的な進化の帰結なのではないかと。つまり、アリやハチは人間の何百倍も前から存続しているのだが、大集団社会生活を営んでいるにもかかわらず進化の淘汰を受けなかったのは、この繁殖形態があずかって力あったのではないかと。

面白い説ではあるし、『大失敗』のラストになぜあのようなクインタ人が出てくるのかの一つの理由付けにもなっているような気もするが、その根っこにはやはり女嫌い癖があるような気がしてならない。

最初に言及したマイクル・カンデルが、そこらの問題を"A Freudian Peek at Lem's Fiasko"(「レム『大失敗』へのフロイト的一瞥」)という論文で追求しているという。『大失敗』の訳者あとがきで紹介されていたその論文をなんとか読めぬものかと思っていたら、ひょんなことから上に貼り付けた"The Art and Science of Stanislaw Lem"という本のなかにあるのを見つけた。ちなみにこの本は日本のアマゾンで買うとやたら高いが、米国アマゾンでペーパーバックの方を買うと値段は3分の1くらい。

で、さっそく一読に及んだ。カンデル説によると、『大失敗』以降レムが小説を書かなくなったのは、『大失敗』で心の欲するところに従って矩(のり)をこえてしまったレムの自己処罰だというのだが、うーんこれはどんなものだろう。