L.P.ハートリーの耽美な生活(1)

 
 すでに相当むかしの話になるが、ロバート・エイクマンの本邦初短編集が今本渉氏の手により翻訳されたのは、この手の小説の愛好者にとっては稀に見る幸運ではなかったかと思う。その今本節が今度はL.P.ハートリーで賞味できる。まったくもって慶賀のいたりである。

 しかしそんなあたりまえのことを言ってもしかたないね。ここはひとつ、以前三島由紀夫の素敵な逸話を披露してくれた元国際ペンクラブ会長フランシス・キング氏に再びご登場願うことにしよう。これから引用する部分のすぐ前には、ハートリーとキングの共通の友人クリフォード(=C.H.B.キッチン。『伯母の死』の作者)の死によって、その召使の夫婦が職を失った次第が語られている。それから文中レズリーとあるのはハートリーのこと。

 おりしもレズリーは、やむなく自分の従僕を首にしたところだった。これまでに雇ったたくさんの従僕と同じく、レズリーにたえず反抗し、威張りちらし、不正を働いていたからだ。絶好の機会だとわたしは思った。そこで何日か後に昼食を共にしたとき、クリフォードの召使のことを持ちだしてみた。もと看護婦ともと警察官の夫婦でね、女房の方は簡素な料理を実に見事につくるんだ。亭主のほうは安全運転もっぱらのドライバーで、何でも屋で、庭師の役もつとまる。二人ともまっ正直で敬服に値する礼儀をわきまえた人物だよ。夫妻の美点をわたしが数え上げていくにつれ、レズリーの表情はだんだん渋くなっていった。しかしとうとう口を開き「わかった、考えとくよ」と言った。そこでわたしは悟ったのだが、彼が真に望んでいたのは、ムショ帰りの従僕がもたらず危険な刺激だったのだ。
 
 そんな従僕の一人は極めて美男で極めて凶悪だった。レズリーと口論が絶えなかった。わたしがたまたまいたときも例によっていさかいがはじまり、捨て台詞に従僕は"Oh, do me a favour, will you? Just fuck off !"と啖呵を切った。従僕が荒々しく部屋を出て行った後で、わたしと目を合うとレズリーは言った。「なんと変わったことを言うじゃないか!」 その目は輝き、喜色をあらわにしていた。
 
 別な日、わたしは昼食のパーティーに招かれ彼のフラットを訪れた。三度も四度もベルを鳴らしてやっと、従僕が乱暴にドアを開けてくれた。だがあいさつもせず、わたしに目もくれず、大股に歩いて料理場に消えていった。<・・・中略・・・> 二時になっても食事は出てこなかった。ついにレズリーは立ち上がりゆっくりと料理場に向かった。激昂した声が料理場から聞こえ、わたしとクリスタベル・アーバーコンウェイは顔を見合わせた。レズリーは戻ると「もう少し待ってくれ」とわたしたちに告げた。その「もう少し」は少なくとも十五分間は延長された。
 
<・・・中略・・・> レズリーはH.G.ウェルズそっくりの容姿をしていたが、ウェルズと同じく、女性にとって抗いがたい魅力を発していた。これは彼を喜ばせるとともに警戒させもした。果たして彼は一度でも女性とベッドに入ったことがあるのかわたしは疑問に思う。友人の小説家Anne Wignallも含めた何人かの女性は、彼を口説いてそうさせることに成功したと主張するのだが、レズリーと彼らとの関係は愛情交じりの友情を超えるものではなかったのではないか。("Yesterday came suddenly" pp.200-201)

 
 ここで大切なのは、ハートリーは従僕との状況を自らの意志でつくりだし、それを楽しんでいたということだ。そういうすご〜く変な人が書いた短編だということを頭のどこかに入れておいたほうがこの本を楽しめると思います。