どんな鞄? (番外:ユッキーご乱行の巻)


 
 
 フランシス・キングの回想録"Yesterday came suddenly"(1993)の発掘に成功。横島昇氏(郡虎彦の英文戯曲集を翻訳された方)の流麗な訳文による『家畜』が最近出たこの特異な小説家の略歴はみすず書房のサイトに載っているのでここでは省略。カヴァンが登場するところをさっそく読んでみよう。
 

 アンナ・カヴァンに会ったのもハーマンを通してだった。スイスの精神病院のすばらしい滞在記「アサイラム・ピース」を十代の終わりに読んで以来、その著作にはずっと感嘆していた。ちなみに私の父方の叔母イブリンも同じ時期にあそこの患者だったことがある。もっとも不幸なことにアンナの self-obsessed ぶりは私を驚かせ、作品に対する賞賛がそのまま作者本人に移行はしなかったのだが。最初に会ったとき、晩餐の間アンナはほとんど口をきいてくれなかった。自分が嫌われているのは間違いない、と私は思ったものだ。しかし九時になると彼女は飛び上がり、中座を詫びながら部屋から出て行った。彼女がいない数分間のあいだハーマンは何事もなかったように話を続けた。彼女が戻ってくると、まばゆい光が暗かった部屋に満ちたように感じられた。おそるべき早口で、魅惑的な効果とともに彼女は話し始めた。彼女が辞去した後で、私はハーマンにたずねた。「最初のうち、彼女は気分がすぐれなかったんだろうか。心ここにあらずという感じだったけど、病気なのかな」 彼は笑って説明してくれた。アンナは薬物中毒で、毎晩九時になると「一打ち」やるんだよ。あとになって分かったのだが、彼女は命を落としかねない悪癖を無害なものに変えられるほど強い性格を持つ人々のうちの一人だった。四十年かそこらの中毒の後に彼女は世を去ったが、死因は薬物の過量摂取ではなく、何かの老年病だった。("Yesterday came suddenly" pp.234-235)

 
 「命を落としかねない悪癖を無害なものに変えられるほどの強い性格」――これこそカヴァンがホームズやド・クインシーと共有するものだ。

 ――しかし中には、キングは物故者の悪口を言うのをはばかり、あえて美化しているのではなかろうかと勘ぐる人もいるかもしれない。ところがあいにく、幸か不幸か、この回想録はそんな慎ましいしろものではない。それどころか、わたしのような文壇ゴシップ好きにはこたえられない類の読み物なのである(言うまでもないけれども、それはキングが優れた小説家であることと矛盾しない)。その一例として、三島由紀夫の思い出を語る部分を少し引こう。
 

 ハラキリによって惨い死をとげる少し前、三島由紀夫がブライトンに私を訪ねてきたことがあった。ブリティッシュ・カウンシルの車に乗せられてきたのだ。
「運転手を昼食に同席させてもいいですか?」 三島はあいさつもそこそこにそう聞いてきた。
 ブライトンの作家や学者を何人か招いていた私は困惑した。「運転手は外で食事させた方がいいでしょう。私が昼食代をやって、六時にまた戻ってくるよう伝えましょう。その間、私が車でブライトンをご案内します」
 運転手はこのはからいに喜色をあらわにした。
 その後、三島がブリティッシュ・カウンシルに別れのあいさつにやってきたとき、スケジュール管理係の女性が質問した。「ミシマさん、こちらにご滞在中の間、あなたがもっとも興味を持たれた方はどなたですか?」 きっとスティーブン・スペンダーとかアンガス・ウィルソンとかいう名を期待していたのだろう。だが、間髪をいれず彼の口から出た名は「ビル・ブラウン」だった。彼女は狐につままれたような顔をした。三島が去った後で、彼女は秘書に「ビル・ブラウンさんってどなたかしら」とたずねたが、秘書も知らなかった。少したって、ようやく彼女はブライトンまで彼を送り届けた運転手がビル・ブラウンという名だったのに思いあたった。

 <・・・残念ながら中略。policemanとの"casual friendship"の話とか出てくる・・・>

……そして三島は詩人アンソニー・スウェイトのつれなさに不平をもらした。「僕はいつもアンソニーを友達だと思っていたのに、きのう晩飯を食ったあとで、アンソニーは僕をゲイバーに連れていってくれなかった」 だってスウェイトはゲイじゃありませんから、と私は反論した。「知ってるよ。でもアンソニーには僕はゲイだって打ち明けた。日本じゃ客にはできるかぎりの歓待をすることになっているんだ」 スウェイトはゲイバーの場所さえ知らないでしょうと私がなだめても三島は承知しなかった。「知らなきゃ問い合わせりゃいいじゃないか」と強情に言い返してきた。(同書. pp.253-254)

 
 あらわには書いていないものの、おそらくキング氏はこのあとゲイバーのお供をさせられたのではないだろうか。まことに同情にたえない。それからどうでもいい話だが、問題のアンソニー・スウェイト氏はけっこうイケメン(画像)。ビル・ブラウンの画像は発見できなかった。

 それにしても海の向こうから無神経な偉いさんが来るとブリティッシュ・カウンシルも大変だ。