どんな鞄?(1)

 
 
 『消え去ったアルベルチーヌ』と同じく、『氷』もヴァリアントが作者の死後に刊行された。すなわち1994年にPeter Owenから出た『マーキュリー(Mercury)』である。しかし不親切なことにドリス・レッシングのおざなりな序文をのぞくとこの本には解説めいたものが全然なくて、作品の成立事情や出版に至った経緯はおろか、これが『氷』と関係あることさえカバーにもどこにも書かれていない。

 二冊あるカヴァンの伝記のうち後に出た方(A Stranger on Earth: The Life And Work of Anna Kavan)にはさすがに言及があって、『マーキュリー』は「もともとは”The Cold World”の原稿の一部をなしていたもの(originally forming part of the manuscript of ‘The Cold World’)」とされている。”The Cold World”とは複数の版元から出版を断られた『氷』初稿時の題名。何度もの改稿を経てやっとPeter Owenから1967年に出たのが今ある『氷』である。

 しかし「もともとは”The Cold World”の原稿の一部をなしていたもの」という言い方は変だ。これが初稿の一部であるなら、それを初稿から抽出したのは誰だろう。もしそれが作者以外の手によるものなら、当然本にその旨の断り書きがあるはずだし、作者自身が抽出を行ったとすると、そもそも何のためにそんなことをやったのかという疑問が残る。伝記に引用されている出版社との手紙のやりとりから判断する限り、”The Cold World”の出版が断られたのは「リアリティの不足」とか「人間が描けてない」とかの理由であって、けして作品が長すぎたわけではなかったのだから。

 そこで想像をたくましくするわけだが、おそらくこれは改稿が重ねられた過程における一バージョンではなかろうか。というのも、『マーキュリー』は、少なくとも最初の数章に関する限り、ストーリーは『氷』とほぼ同じだが、ずっと(伝統的な意味における)小説としてのふくらみを持っているからだ。これは版元の意見を容れて、よりリアリティを盛り込み、人間を描こうと試みた跡ではないだろうか。

 たとえば三人の登場人物には名がついている(主人公はLuke、少女はLuz、少女の夫の画家はCaz)。画家の家へ車で向かう途中の主人公の回想や幻視は、『マーキュリー』ではそれと分かるように書かれているが、『氷』ではおそらく意図的に現実とあいまいにされている。

 さらに、『マーキュリー』の方が『氷』よりシーンが断片的ではない。たとえば主人公がいかにして少女に出会い、そして画家に奪われたかが主人公の回想として描写されている。それから最初のシーンで主人公が画家の家に行くのは、『氷』では画家から招待状が来たためだが、『マーキュリー』では衝動にかられやみくもに押しかけることになっている。歓迎されざる突然の客として少女とその夫と晩餐をともにする主人公。こちらの方が小説的サスペンスは盛り上がるではないか。そして何より肝心の氷が、『マーキュリー』ではずっと後になってからでしか登場しないし、それも主人公の幻想とも解釈できる余地を残している。

 しかしこういう書き方は、書肆の意に沿うものではあったとしても作者には不本意であったらしく、この『マーキュリー』も話が進むにつれて、まるで作者が尻をまくったように徐々に『氷』調になっていく。

 ということで、初稿”The Cold World”が傑作『氷』に変貌する過程において、振り子が一時的に向こう側に振れたものが『マーキュリー』ではないかと想像するのだが、さてどんなもんだろう。