ことほどさように時間の仕掛に技巧がめぐらされているこの作品であるが、ここにもうひとつの仕掛がある。
いうまでもなくそれは、昔のカメラ・オブスキュラ(幻灯)の発展形であるところのカメラと、それから、真正のカメラ・オブスキュラ(暗室)であるところの押入れだ。
この作品において、二つのカメラ・オブスキュラは等価、というより、ミステリの一人二役のように、二つでひとつの実在となっている。だから私の男がヒロインにカメラを渡すのと前後して、押入れの中のものも消える。
そしてカメラ・オブスキュラのなかでは、時間はずっと「現像」されないままでいる。超常能力を持つ美郎が幻視する押入れのなかを見るがいい。まるで撮影されながらもカメラにおさめらたままのフィルムのようではないか。
そもそも普通に流れる時間のもとでは、八年前のカメラのストロボが生きていることもありえないし、押入れの中のものが八年間腐敗しないこともありえない。どちらも時間の流れが停滞していることの、なによりの証左であろう。