青い彼方

 
 わたしたちは熟読した。グレッセの「鸚鵡のヴェールヴェール」と「シャルトル修道院」、マキャヴェリの『大悪魔ベルファゴール』、スウェーデンボリの『天国と地獄』、ホルベアの『ニルス・クリムの地下旅行』、ロバート・フラッド、ジャン・ダンダジネ、ド・ラ・シャンブルの手相学に関する著作、ティークの『青き彼方への旅』、それに、カンパネッラの『太陽の都』。アッシャーの鍾愛の一冊は、ドミニコ修道会のエイメリック・ド・ジロンヌの『宗教裁判法』の小さな八折判の版だった。(「アッシャー家の崩壊」西崎憲訳)
 
空気の澄んだ日に遠くを見ると、地平線の彼方は青くぼやけて見える。このためドイツ語の Blau(青)は「あてどない彼方」というような含意を持つ。そのもっとも端的な例はノヴァリスの『青い花』だろう。日本語にも「青霞む」という言葉があるが、これは「あてどない」ニュアンスも「彼方」のニュアンスもないので、たぶん似て非なるものだと思う。

ロデリック・アッシャーの愛読書『青き彼方への旅』の「青」も同じで、原題の (Das alte Buch und) die Reise ins Blaue hineinは「あてどのない遠旅」といった程度の意味あいだ。ちなみにこの本はロバート・フラッドの手相術書などと違って今でも簡単に手に入る

ところで、ポーはこのティークの書名を「マルジナリア」の中で "Journey into the Blue Distance"と訳している。ハテすると、英語のBlueにも似たようなニュアンスはあるのかしらん? それともポーは単に直訳しただけなのだろうか? といった感じで、なんとなく気にかかっていたのだが、なんとジョン・コリアの文章に同じような言い回しが出てきた!
 
"Forty miles," said the Chief. "Over there, by Swindon."
From their down top they could see the plain stretching its dappled belt of self-sown coppice and dark bog mile after mile away into the blue.
("Tom's A-Cold", p.11)
 
この"away into the blue"はまさにドイツ語の"ins Blaue hinein"と同じ用法だ。しかし手元の英和辞書(リーダーズ)にはこの意味での"into the blue"は載っていない。もしかしたらコリア独自の形容なのだろうか。